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銀座 その壱(旧出雲町)

スローリー余話
街の”なりたち”#5

江戸時代初期に幕府の銀貨鋳造所の役場が置かれたのが現在の銀座二丁目あたり。「新両替町」という町名でしたが通称として「銀座」と呼ばれていました。明治維新によって「銀座」が正式名称となり銀座一丁目・二丁目・三丁目・四丁目が誕生。晴海通りから西側の銀座五丁目~八丁目が関東大震災後の区画整理によって誕生しましたが、それ以前は「尾張町」や「竹川町」「出雲町」という住所でした。

昭和初期の資生堂パーラー(写真提供:中央区立京橋図書館)

明治時代「出雲町」と呼ばれた場所に1902(明治35)年に開業したのが資生堂の「ソーダファウンテン」。現在の「資生堂パーラー」です。そして令和の今も「資生堂パーラー」のお料理は美しく美味しい洋食として多くのゲストを迎えています。(2023年10月号 『東京Slowly² vol.2』より)

伝承の美しい美味しさ

銀座八丁目
資生堂パーラー 銀座本店レストラン

昭和初期に登場した『ミートクロケット』

銀座八丁目が「出雲町」と呼ばれていた1902(明治35)年、日本初の民間洋風調剤薬局「資生堂」の薬局内にソーダ水とアイスクリームの製造販売を行う「ソーダファウンテン」として誕生した「資生堂パーラー」。1928(昭和3)年に吹き抜けのある2階建ての建物で『資生堂アイスクリームパーラー』となり、そのメニューに西洋料理が加わり95年。銀座を代表するレストランとして多くの顧客に愛され続けている。

 世代を超えて愛される『オムライス』

繊細で扱いが難しいとされる卵料理。なかでも開業から変わらないレシピでつくられる『チキンライス』をフライパンのなかで包み込む技術が必要とされる『オムライス』は「資生堂パーラー」の料理人たちにとって登竜門だと言われている。まるで赤ちゃんの肌のようなプルプルの卵は思わず頬釣りしたくなるほどの美しさ。さらにフォンドボライユベースのソースによって彩られ、食べる前からその姿にため息が出るほどだ。このほっこりする優しい美味しさ。老若男女、国籍問わず『オムライス』を目当てに訪れる顧客が多いという”美しく美味しい”お店の看板メニューだ。

資生堂パーラー 銀座本店レストラン
〒104-0061 東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビル
03-5537-6241
営業時間:11:30-21:30(L.O.20:30)
定休日:月(祝日の場合は営業)年末年始

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