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日本橋本町 昭和通り界隈

スローリー余話
街の”なりたち”#37

1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災は東京の街を大きく変えました。特に日本橋は魚河岸が築地に移転するなどの大きな影響を受けました。街の区割りや町名の変更も行われ、それまで常盤橋の日銀あたりから江戸通りに沿ってあった本町1~4丁目は1932(昭和7)年の区画整理により、それまで「伊勢町」や「瀬戸物町」などと呼ばれていた「西堀留川」に面したあたりは本町1~2丁目になりました。何より震災復興計画により「西堀留川」は埋立られ現在の『昭和通り』になったのです。

首都高開通以前の日本橋本町あたりの昭和通り(写真提供:中央区立京橋図書館)

『昭和通り』は当初道幅108メートルの道路が計画されていましたが結局現在の44メートルで1928(昭和3)年に完成しました。首都高速道路が開通する前には樹木が植えられた中央分離帯があり今とは違った解放感ある風景だったと想像されます。そんな『昭和通り』の日本橋本町4丁目には寛政年間に浅草で創業し1946(昭和21)年に現在の場所に移転した『うなぎ割烹 大江戸』があります。(以下、2024年3月発売『東京Slowly² vol.3』より)

200年超えて愛される
美味しさへの弛まぬ探求

うなぎ割烹 大江戸

江戸時代、老中・松平定信が幕府で活躍していた寛政年間に初代・草加屋吉兵衛が創業。戦後現在の日本橋本町に移転して約80年。多くの顧客に愛されてきた『大江戸』。その自慢の蒲焼は長めにしっかり蒸す事で“ふっくら”と柔らかく、外側は炭火で丁寧に“パリッ”と焼き上げ、そして江戸っ子が大好きな甘辛のたれで仕上げられた“記憶に残る”『大江戸』ならではの美味しさだ。時代の変遷とともに食材も人の好みは変わるなか、日々その変化に対応して美味しくなるのが『大江戸』のうなぎ。「鰻はもとよりお重のサイズやごはんの品種などにもこだわった最高の鰻重を提供したい」と語る10代目のご主人・湧井浩之さん。喜ばれる味への弛まぬ探求。それが200年を超えて『大江戸』が愛される理由なのだ。

うなぎ割烹 大江戸
〒103-0023 東京都中央区日本橋本町4-7-10
03-3241-3838
営業時間:11:00-22:00(土21:00)
定休日:日・祝
https://x.gd/IUcya