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いまだに後悔していること。
私は沈黙に耐えられない女だった。
誰かと一緒にいて会話が止まると、沈黙に耐えられない。
沈黙に耐えられないがゆえにやらかしてしまったことは数知れず。
役者時代、舞台上で間をとって沈黙をつくらなければいけない
場面なのに耐えられず、十分な間をとらずにセリフを言ってしまう。
演出をだいなしにしてしまう。
駅で友人と別れたあと、反対側のホームにいる友人と目が合い、
気まずいような気分になりコマネチをしてしまったり。
そんな中でも、やらなきゃよかったと思ったことNo,1は
「人のうわさ話をしたこと」
私自身が、もっと仲良くなりたいと思っていた友人。
その友人と話す話題がほしくて、
共通の友人のプライベートな話をべらべらしゃべってしまった。
その後はお察しの通り、プライベートを暴露された友人は
自分のことを噂されていたことを知り、私と口をきいてくれなくなった。
話題がほしいからといって人のうわさ話で間を持たせるなんて、
なんてバカなことしたんだろうと、思い出すといまだに後悔の念がもやりと胃のあたりにあらわれる。
なんでここまで沈黙に耐えられなかったのか、
齢40を過ぎて出た結論は、沈黙=怒りというビリーフがあること。
会話に間があると、怒られているような気持ちになるのだった。
さらに、怒られる自分を責めている自分がいるから、
少しの沈黙も耐えられなかった。
この思い込みは、自分のビリーフを解除していく過程でいつの間にか薄くなっていった。
育っていく過程でいつのまにかできた思い込み、
もうそんなこと思う必要がないのにいまだに握りしめているもの。
「人生の99%は思い込み」という本に
「人は幼少期に自分で「人生脚本」を書いている。」と書いてあった。
それは周りから言われたことや
置かれた環境の空気を敏感に感じ取ってつくるもの。
それがたとえ勘違いだとしても、生きる術として思い込みをつくる。
その思い込みに足元をすくわれることは意外と多い。
私も改めて自分の思い込みを洗い出して、自分の玉ねぎの皮を剥いていこうと思っている。