10/15 早朝読書会 ヤン・コハノフスキ『挽歌 挽歌一、二』
読書会をやってみて
ヤン・コハノフスキ『挽歌 挽歌一、二』の読書会を5名で行いました。
この読書会では始めて青空文庫以外の作品であり、また、ヤン・コハノフスキという日本ではあまり認知されていない作家(ぼくも知らなかった)の作品を扱いました。
この『挽歌』という作品はヤン・コハノフスキの娘オルシュラの死を悼む19篇の連作です。
読書会では、失った大事なものをどう捉えるかという話になりました。ぼくらは、なにか大事な人を失ったりした時、一定期間は悲しみに打ちひしがれますが、その後日常生活に戻っていきます。しかし『挽歌』では、娘を失った悲しみから逃げず、それを書き続けるという内容でした。その中で、世界全部がすべて空しく見える。
今回の読書会では宿題をもらいました。生きることは必ず不幸を伴う、それをどう解釈し、世界をどう見るか、今後も考えていきたいとおもいます。
ご参加いただいた方の感想
WAHAKUさん
コハノフスキは、此の世の終わりかと感ずるような狂おしい出来事に対し、彼の内部に溜まり自身を多い尽くす苦汁(にがじる)を解放したのだろうか。
人は云う。死者を悼み自分も救われたいならば、哀しみをを内に留めず、さあ話しなさい…。
2年前似たような体験をした私は、
さっき観たTVドラマのセリフで、『哀悼は恐怖でも敗北でもない』とのフレーズがあり、まさにその通りと感じた。
人のココロの中に刻まれた永遠のモノが、文学として私たちの心に残る物として提示され音読出来たことに感謝する。
ハラ タカシさん
<娘を亡くした父親>の詩を通して、予期せぬ事に遭遇した時の自分に、それまで見慣れていた世界や風景が別の様相としてたち現れてくる、そのような追体験をしていました。
M.Tさん
哀しみの乗り越え方というか、持って行き場のない気持ちをどうにかしようとしたとき、詩はその一つだと思いました。
この作品に対する主催者の考え
後日公開
次回
次回以降の予定は以下の通りとなっています。すべて土曜朝6時から7時開催です。
興味ある方は、ぜひご参加ください。
10/22 坂口安吾『日本文化私観 三 家に就て』
10/29 オマル・ハイヤーム『ルバイヤート 生きのなやみ』