映画『余命10年』【涙腺崩壊】
※ネタバレはありませんのでご安心下さい※
3月4日に公開された映画「余命10年」。
私は公開日の翌日に映画館へ観に行き、翌週にも鑑賞した。同じ作品をスクリーンで二度鑑賞することは初めてだった。
現在、動員数200万人突破&興行収入25億円突破という大ヒットの名に相応しい功績を残し、その記録は留まることを知らない。
この作品が多くの人の心を動かし、その想いを誰かに伝えたいというエネルギーがそうさせているのだろう。
タイトルからして間違いなく「死」が待っている物語ということは一目瞭然だ。
しかし、この物語は死にゆく主人公の悲しいお涙頂戴ストーリーではない。
この映画の原作小説の著者、小坂流加さんは2017年に38歳という若さでこの世を去った。
物語の主人公、茉莉と同じ病である「原発性肺高血圧症」という難病を患っていた。
いわばこの物語は小坂流加さん自身の物語でもあるのだ。
映画を観てから小説も読んだが、小説はフィクション感が強く、映画の方がリアルに近いのではなないだろうか。
例えば、劇中での茉莉は緑色の洋服をよく着ていた。
それは「小坂さん自身が緑色が好きだったということを反映させている」と後日談として藤井道人監督が語っていた。
まるで、茉莉が小坂さんと重なって一つのドキュメンタリーを観ているようなリアルさがそこにあった。
茉莉は生きることに執着しないため、恋はしないと決めて生きていた。
それは死ぬことの恐怖を生み、この世界に愛する人を残してしまうという痛みが必ずやってくるからだ。
しかし、茉莉はそんな決意をしながらも家族や友人の前では気丈に振る舞う。
家族に心配かけないようにと弱音は吐かず、友人には病気のことを話さずにいた。
一人で抱えるには大きすぎる現実と、茉莉は誰よりも冷静に向き合って生きているのだ。
だが、中学の同窓会をきっかけに世界が変わり始める。
和人と再会したのだ。
これは茉莉にとってもそうだが、和人にとっても運命を変えた出来事だ。
生きることに絶望していた和人が、茉莉と出会うことで生きることを決意するのだ。
和人と過ごす四季とともに茉莉もまた、生きたいと強く願うようになる。
この心の叫びに映画を観た9割の方が涙したのではないだろうか。私もその中の一人だ。
茉莉が心の内を吐露するのはそのワンシーンだけ。
このシーンの小松菜奈さんの演技は演技を越えているように見えた。まさに茉莉として存在していた。
だからこそ刺さるものがあった。
美しい四季の流れとともに茉莉の最期が刻一刻と近づいていることを物語っており、このまま時間が止まってほしいと願っている自分がいた。
また、和人自身の成長も大きくそれが10年という月日を感じさせてくれるように思う。
そこでこの「余命10年」は茉莉だけの物語ではないということに気付く。
家族や友人、和人にも同じ10年があり、それぞれが懸命に生きていたのだ。
だからこそ、冒頭にもある「この物語は死にゆく主人公の悲しいお涙頂戴ストーリーではない」に繋がるのだ。
限りある命をどう死んでいくかではなく、どう生きていくかを優しく語りかけてくれているのだ。
涙で濡れた顔とは裏腹に、心はじんわりと温かいものが広がる感覚だった。
そして、劇中音楽と主題歌「うるうびと」をRADWIMPSが担っている。
この音楽との相乗効果も凄まじい。
サントラを聴けば情景が浮かび思わず涙が溢れる。
歌詞を見れば和人目線の歌だとすぐに分かる。
藤井道人監督の季節の美しさを儚く映す力、繊細な演出と演技力のある俳優陣、妥協を許さない制作スタッフ…誰一人として欠けてはならないんだと思える傑作だ。
小坂さんにこの作品を観てもらいたかった…
そんな願いを本編終了後に叶えられた。
小坂さんへの敬意を感じられた瞬間だった。
小松菜奈さん、坂口健太郎さんの演技は勿論だが、個人的に茉莉の父を演じた松重豊さんと茉莉の親友を演じた奈緒さんからは家族の愛、仲間の愛を感じる演技でとても心に残っている。
最後にとにもかくにも、悲壮感いっぱいの映画ではないということを伝えたい。
小坂さんが命懸けでこの世に遺してくれた生きることの尊さを受け取ることができて幸せに想うと同時に心から感謝を申し上げたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。