【日曜の夜ぐらいは…】に見る日常の輝き
【日曜の夜ぐらいは…】
というドラマが今季はとても好きで
もう今週で最終回ということに
寂しさを募らせています。
このドラマの好きなところは
綺麗事では済まされない日常の中でも
大切な人たちと笑い合える分かち合えれば
なんとか生きていける気がする。
そんなメッセージ性を感じられるところ。
物事が上手く進めば進むほど
失うことや躓くことへの不安、
奪われたり邪魔をされることへの恐れ、
確信など持てなくて
それなれば初めから信じない方が楽だと、
もういっその事なにも持たない方が楽だ!と
シャッターを閉じて生きてきた主人公のサチが
心からの笑顔を取り戻したとき
あぁ、人生ってこんな些細でちっぽけなことのように見える何気ない瞬間にこそ幸せや生きる糧が転がっているんだなぁと感じた。
世の中の理不尽さ、
切っても切り離せない家族、
大切な人との時間、夢
変わらないこと、変えられないこと
山ほどあって嫌気がさしたとしても
変わることも、変えられることも
きっと山ほどあるはずで。
コンビニで一番高いアイスを買って
よし、明日も踏ん張ろう!!
となれるサチが
それに感化されて
やるせないときにこぞってコンビニに行く
ケンタとわぶちゃんが
孤独に慣れて諦めて愛想笑いが
上手くなってしまったみねが
邦子さんや富士子さん、賢い賢太
みんなみんな、
かつては溶けてなくなるアイスでしか
満たせなかった温もりを
肌で感じ、どこまでもあたたかい空気の中で
明日は何をしよう!みんなに早く会いたい!
と胸を躍らせる。
それだけでこっちはもうジーンとなるわけです。
みんな傷ついたり、寂しかったり
弱かったり、でも強くて優しいから
大切な人はとことん大切にできるから。
つまりは……最強ってわけです!!
(わぶちゃん風に言ってみた)
これがもし、綺麗事を並べた上での
出会いで仲間で夢であれば
たぶんここまで入り込めなかったし
ドラマチックやな〜ぐらいにしか
ならなかったけれど
前半がこれでもかというほど不幸の連続で
しかも私には降りかかってはいないけれど
想像のできる範囲の不幸がリアルで
前向きになんてなれないよな、って
なぜか共感できてしまってて
些細な出会いできっかけで
自分の中の世界が動き始める。
それはドラマチックなようで
現実を生きる私にも有り得る気がした。
結局はシャッター閉じたままじゃ
なにも変わらないんだけど、
それでもこじ開ける人がいて
多少傷つくこともあって
でも結果的にシャッター開けたら
世界広がってるかもしれなくて
そこからまた外に出て、
自分の足で歩いて
たまに道間違っても
まだ戻って歩き直す。
頻繁にじゃなくても
会いたいと思える人、
会えば元気になれる人、
そんな人が1人でもいれば
疲れてしまっても
またエネルギーに変わる。
そんな、日常を生きるすべての人たちへの
応援歌のようなドラマに出会えてとても幸せです。
主題歌もまたいいんですよね。
7月から私はシャッターの外に出ます。
緊張するしどうなるかは分からない。
分からないことを悩むのはやめて
"ケセラセラ"を合言葉に
とにかくやってみる。
自分に対して誠実に。