涙も出なかった話。(航空管制官を目指していた時の話。)
自分の中で蓋をしていた出来事なんですけど、
この際、話して消化できればなと思います。
少し長くなります。
20代前半の頃、空港で働いてたことをきっかけに
航空管制官という仕事に興味を持ちました。
空港の滑走路にあるタワーから航空機に指示を出す仕事です。
管制官になるためには、一次試験から三次試験(筆記・面接・実技)まである国家公務員専門職試験というのを受験します。
年齢制限は、21歳から30歳までで、例年1,000人近くの人が受けて、100人前後の人が合格するような試験です。
当時、自分の力的に働きながら1年みっちり勉強して、なんとか筆記は通過できるか?ギリギリという状況でした。
さらに、もし合格できたとしても大阪での8か月の研修、その後どこに配属されるか分からない、定期的な全国転勤、不規則な勤務形態という労働環境に、仕事自体には憧れつつも、そういった理由から本気で目指す決断は出来ませんでした。
●2016年(26歳)
-新しい恋人ができて一緒に住み始めたり、
転職したりっていう忙しい時期だったんですが、すごく充実してました。
その間も、管制官に憧れてる気持ちはずっとあって、20代後半になってからは、管制官の受験の年齢制限のこともずっと頭の中にありました。
もし、本格的に目指し始めた場合、勉強漬けの毎日、合格後も遠距離っていうのがあったため、恋人か夢、どちらかを選択するしかありませんでした。
自分が大人になってから、こんなにずっと一緒にいたいと思える人に出会えた!っていうのが恋人に対しての気持ちでした。
一方で、管制官(夢)に対しては、やっぱりなりたい!なれなかったら後悔する、受験しなかったらもっと後悔するっていう気持ちでした。
●2018年(28歳の年) 受験チャンスは残り3回
-前の年から恋人との間にいろいろなことが重なって、
結果、その年の2月に恋人と別れました。すごくショックでいろいろな人に連絡しました笑
気持ちを切り替えるのに結構時間がかかってしまいました。
そこから、管制官を本気で目指す決心がつきました。
そして、6月の筆記試験。
十分な対策ができていなかったので、当然ですが不合格でした。
その年は準備期間も少なく、来年が本番!という気持ちでしたので、
そこまで落ち込みませんでした。
●2019年(29歳の年) 受験チャンス残り2回
-今年は必ず受かりたいという思いから、受験対策の予備校にも行って、オンライン英会話もやって、
土日も毎週・朝から晩まで図書館に篭って勉強してました。
勉強漬けの毎日は辛かったですけど、なんとか今年で受かるつもりでした。
ですが、結果は一次試験すら通過ならず。
かなりショックでした。もう一年受験勉強頑張れる自信もありませんでした。
うん、、、もう無理なんだよ、、、、、最初っから、自分じゃ無理だったんだよ。
でも、やっぱり諦めたくない、、、。
そこから気持ちを立て直して、ラストチャンスに賭けることにしました。
恋人と別れてからは実家に戻ったため、片道1時間半かけて職場まで通ってました。
帰りの電車の中でウトウトしながら問題集を開いたり、時には立ちながら寝ちゃったりしてました。毎日疲れてくると、メンタル不安定でボロボロになってました。
たまに通勤時間削減のため、職場近くのホテルに泊まって勉強するということもありました。
そんな状態の中、ラストチャンスどうしても後悔したくなかったので、
その当時勤めていた会社を年内で辞める決断をしました。
3年勤めた会社で、いろいろ積み上げてきたものがやっと形になってきたなっていうところでの退職に、周りの人ももったいないって言ってくれました。
でも、目標のことを話すと素直に応援してくれました。
すごく嬉しかったし、辞めるからには何としてでも合格しなきゃと思いました。
●2020年(30歳の年) ラストチャンス
-その年の2月、今年の採用人数が発表されました。
例年、100人前後(120人の年もあったと思います。)
なんとその年の採用人数は30?人でした。
絶望しました。本来、1年以上準備してきてるのであれば
トップ合格を目指すくらいじゃないといけないのかもしれません。
(もともと試験の性質上、満点を目指す試験ではなく、取れるところを確実に取って合格するという試験でした。さらに自分の場合働きながらだったので、どうしても対策が回らない科目もありました。受験生も現役大学生が多く時間的にも年齢的にも不安はありました。)
しょうがない、自分を信じてやるしかないという思いで勉強していました。
その一方で、ラストチャンスであり、仮に筆記通っても、面接でダメな可能性もある、
もし、ダメだったら?という不安の中、眠れない日が続いてました。毎晩、布団に入るといろいろ考えちゃってました。
-4月、緊急事態宣言
緊急事態宣言の影響で6月に予定していた試験が8月になり2か月延びました。
試験が延びたことでの条件は受験者みんな一緒だけど、何度も受けてる自分の方が対策を分かってるっていう思いでした。
緊急事態宣言下では、最寄りの図書館もやってなかったということもあり、毎日ホテルに篭って勉強しました。
そして、迎えた8月。筆記試験受けてみて、
「過去問より難しい?うーん、でもなんとかできるところは解いた!筆記はイケると信じたい、、、お願い・・・。」
お願い・・・。。。
残念ながら、筆記試験すら通ることができませんでした。
諦めてなくても、試合終了です。
ただ、自分の力、努力が足りなかっただけのことです。
誰のせいにも出来ません。
それはわかってるけど、
それでも、受かりたかったし、ショックでした。
(かっこ悪すぎですよね。恋人と別れて仕事も辞めて。
何やってるんだろうって思いました。)
だけど、試験が終わってみて、意外と冷静に受け入れている自分がいました。
落ちたことも管制官になれなかったこともショックでしたけど、それ以上にその結果を冷静に受け入れている自分にショックでした。
あれ、涙とか出ないんだ。三日三晩、涙が止まらなくなるとか。
食事も喉を通らなくなるとか。そんなのを想像してました。
もちろん、泣いたからその分思いが強いとかではないと思うけど、いつも通り食欲があって仕事にも行って、変わらない日常。
そっちの方がショックでした。自分の思いはそこまでだったんだって。
(そんな思いだから、受からなかったのかな。)
それともう一つ、これから先、本気で何かに取り組んで目標を達成するっていう経験はなくなっちゃうんだろうなって思いがあります。
今までの人生で、何か大きな、自分の中での目標を達成するっていう出来事が自分にはなくて、それがコンプレックスでした。
高校受験だけは頑張れた気がして、県内の進学校に合格できました。
それ以降、なんて言うのか、器用貧乏というのか、
小手先だけの努力で、本気になれない自分に自信が持てませんでした。
大学受験も就活も客室乗務員への転職も
英語の勉強もほどほどで、それでいてモノにできずに結果も出せずにいました。
管制官になることで、試験を自分の力で突破することで、自分に自信を持てるようになれると思ってました。
試験を通して自分を変えたかったんですけど無理でした。
このことは、誰にも話す機会ないかも?って思ってたので、これを機に書けて良かったです。
長くてなっちゃいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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