「忘れたくないことリスト」を作る時
きのう東京都内で新たに293人が新型コロナウイルスに感染していることが確認された、という報道がありました。都内で1日に確認された数としては、これまでで最も多くなりました。
同じ17日、国土交通省は観光需要を喚起するための「Go Toトラベル」事業を見直し、東京都内への旅行と東京都民は割引の対象から外すと正式に発表しました。感染拡大の中、当然と言えば当然の措置ですが、この「ちぐはぐさ」は将来、必ず歴史として記録されていくことでしょう。
「記録」と言えば、最近、新型コロナをめぐるもので特に印象に残った本があります。イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳、早川書房)です。
ベストセラーになっているのでご存じの方も多いでしょうが、トリノ大学で素粒子物理学を専攻していたという「理系の頭脳」による明晰なエッセイ集です。
ローマに住んでいる筆者は、ことしの2月から3月にかけて非常事態下のイタリアの暮らしの変化や、混乱ぶりを綴りました。理系らしく、様々な情報がきれいに整理されていて、感染の広がりの説明の仕方も非常に分かりやすい。ちょっと引用してみましょう。
仮に僕たちが七五億個のビリヤードの球だったとしよう。僕らは感受性保持者で、今は静止している。ところがそこへいきなり、感染した球がひとつ猛スピードで突っ込んでくる。この感染した球こそ、いわゆるゼロ号患者だ(訳注/未感染の集団に病気を最初に持ち込む患者)。ゼロ号患者はふたつの球にぶつかってから動きを止める。弾かれたふたつの球は、それぞれがまたふたつの球にぶつかる。次に弾かれた球のどちらもやはりふたつの球にぶつかり・・・・あとはこのパターンが延々と繰り返される。感染症の流行はこうして始まる。
数学者が「指数関数的」と呼ぶ、感染者数の増加をイメージさせてくれる見事な表現です。
このようにクリアで冷静な筆致の文章が続きますが、日本語版に特別に掲載された「コロナウイルスが過ぎた後も、僕が忘れたくないこと」という文章は訳者が指摘しているようにかなり「熱い」内容になっています。「イタリアの死者数が中国を超えた」時期のもので、隔離生活を余儀なくされた中で書かれました。
公衆衛生の緊急事態を「戦争」という別物にたとえる政治家、準備不足の中で膨れ上がった死者、フェイクのツイート・・・多くの負の側面と教訓があった中で、筆者は考えます。
苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化していまうものだ。僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。数々の真実が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉と共に消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。
(中略)
すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。
筆者は流行の真っただ中で「ウイルス後の世界」をより良きものにしようと、早くも想像力をめぐらせていたのです。私たちにもこの視点は重要だと思います。
もちろん目先の経済を回していくことも重要なのですが、今回の教訓を踏まえてどんな社会を作りたいのか考えるべきでしょう。経済成長がなかなか難しく、定常化していくことが分かっているのに金融とヒトを回すことでごまかしてきたグローバル社会。そこに一石を投じるためコロナは日本にも再び「レントゲン」をかけてきているのではないか。そんなこともイメージしてしまいます。
「理系からの熱いメッセージ」・・・・今回はそんなジャズを聴いてみましょう。「クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ」です。
クリフォード・ブラウン(tp)は1956年に25歳の若さで亡くなってしまったトランぺッター。とにかくトランペットを「鳴らし切る」ような大きな音を持つ一方、ハード・バップの先駆者のひとりとして、グループ・サウンドを作り上げていく力もありました。
実はブラウンは地元のデラウェア州立大学に進学したときに「数学科」に入っているのです。音楽科がなかったということなのですが、数学ができたのは間違いありません。
この話はジャズ喫茶「いーぐる」店主の後藤雅洋さんが書いている記事で読みました。
後藤さんは数学とブラウンの関係が「整然とした音楽的構成力に結びつくような気もする」としていますが、私も同感です。
「クリフォード・ブラウン・アンド・マックス・ローチ」はブラウンの作曲能力と、マックス・ローチ(ds)と組んだレギュラー・グループでのソロの構成力を知るうえで最適なアルバムの一つです。
1954年8月と1955年2月の録音。
Clifford Brown(tp) Max Roach(ds) Harold Land(ts) George Morrow(b)
Richie Powell(p)
①Deliah
ビクター・ヤングの曲。メロディではブラウンがミュートをつけて吹いています。これがエキゾチックな曲調とぴったり合っており、なかなかの演出です。ハロルド・ランドの男性的なテナー・ソロの後にブラウンが再び登場。とにかく唸らされるのはソロの巧みな「構成」です。ミドル・テンポに合わせてゆっくりと入ってくるのですが、前半で短くビッグ・トーンを響かせ、明確なアクセントを付けています。中盤になると次第に鋭い高音を主体にしてヒットを打つのですが、それも連続ではなくサッと「引く」タイミングを作って心地よい緊張感を維持させます。最後にフレーズの連打でさりげなくスリルを作ってピアノ・ソロに渡すまで全く隙が無い、しかしリラックスした演奏です。マックス・ローチのマレットとトム・トムを中心としたソロも曲にマッチしていて素晴らしいです。
⑤Joy Spring
こちらはブラウンのオリジナル曲。ピアノによる魅力的なイントロからメロディへ。春らしい高揚感がある旋律をトランペットとテナーが完全に一体化して奏でます。まずはランドのソロ。改めて聴くと、ランドの図太い音色の中に軽快さが込められてなかなか味があります。続くブラウンのソロは彼らしいパワフルさと歌心にあふれています。そのまま全てがメロディになっているソロ、とでも言えばいいのでしょうか。最初からクリアな音で高らかに歌い上げ、2分10秒過ぎからは途切れることのない高速フレーズを連打。軽々と飛ぶ鳥のように力みがないのに、音の一つ一つに力が漲って歌心があるのです。2分30秒ごろからはユーモアさえ漂うフレーズで音を愛でているかのようにトランペットを吹き切っています。爆発力と余裕を取り交ぜた構成。全く耳を離せないソロです。
ご紹介したジョルダーノ氏のエッセイでは「忘れたくない物事のリスト」を作っているという話が出てきます。
誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う。そして、平穏な時が帰ってきたら、互いのリストを取り出して見比べ、そこに共通の項目があるかどうか、そのために何かできることはないか考えてみるのがいい。
確かに、この作業は何事も忘れがちな私たちにとって有益だと思います。様々な要素を記録し、再び取り出し、見比べて「現場」に放り込んでみる。そんな理系的な「実験作業」が新型コロナ流行の後に求められているようです。