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【創作小説】飢餓不死鳥喰 第五夜

十二、鳥の雛

 孵ったばかりの雛は、あの淡い虹色の光彩を放つ美しい鳥からは想像もつかない程貧弱で、灰色と白との黒の毛がまだらに入り交じり見るからに見窄らしく、その上あろうことか両脇にあるべき翼がなかった。
 斯くして雛は、其の様な大変醜い姿で生まれた。
 しかし朱金の奥方はこれを不死鳥の雛であると疑わず、籠の中に雛を移すとしばしば開くことなく雛を見つめた。すると時折ではあるがわずかに、奥方の目には雛の躯全体がほんのりと淡い虹色の光彩を纏っているように見えることがあった。
 この頃より、彼女の侍女のひとりは、奥方が醜い雛と向かい合って過ごす時間が、日に日に長くなっていることに気づいていた。
 そう、奥方は不思議な程雛に目をかけ、細々と世話を焼いた。
 彼女は黒王の形見となった金の鳥籠を私室に吊すと、中に真綿を敷き詰めて雛にとって居心地の良い住処を拵えて、多くの時間を鳥籠の傍らで雛を眺めて過ごしていた。彼女の回りの侍女や従者にかけては、この雛について散歩の途中に巣から落ちているのを拾って持ち帰ったと説明していた。
 奥方のこの発言を不自然に思う者もあるにはあったが、朱金の奥方の侍女や従者を含めた宮中に暮らす人々は誰しも、鳥にはうんざりしていた。偉大なる北方の黒王は、たった一羽の鳥のために失われたのだ。
 朱金の奥方ただ一人を除いた宮中の人々だけでなく都の民衆も、誰も彼もが胸中でもう鳥と深く関わりたくないと考えていた。
 喪中のこともあり、滅多にひと目に触れる事なき朱金の奥方のこうした行動は、それ故誰にも知られることなく、密かに進行していた。卵から孵った醜い雛のため、彼女は自ら甲斐甲斐しく世話を続けた。

十三、雛の食事

 朱金の奥方は雛を大層慈しんだ。見れば見る程、彼女にはこの見窄らしい姿の雛が、この世にふたつと無い至高の宝石の如く気高く、愛おしいものを感じられた。しかし、そんな彼女の雛への慈愛を持ってしても、なんとも頭を悩ませ、胸を重くし、それでいて彼女にはどうすることも出来ない問題が、彼女の前に立ちはだかっていた。

 それは雛の食事である。

 雛は生まれた直後から飢えていた。何時間かに一度、雛はその醜い姿同様に、硝子に爪を立てる様な耳障りな声でギィギィと鳴いては食事を催促し、その度に奥方は様々な食材を、雛が食べやすい様にと自ら手に取り大きく口を開け待ち構える雛の口の中へと押し込むのだが、雛は一度もまともに食事を喉に通さなかった。

 初めの頃こそ彼女は、単に用意した食物が雛の口に合わなかったのだろうと別の食事を運ばせた。けれど何度それを繰り返しても雛が食事をしないことに、次第に不安を覚えはじめた。

 彼女は昆虫や草花は言うに及ばず、穀物、木の実や種、動物の乳や、終いには重湯や粥、それに小魚や獣の肉までも、其のどれかひとつでも餌になればと雛に与えた。
 しかしどれひとつとして雛の口には合わない様子で、雛はすべて口に入れた次の瞬間にはもう吐き出していた。

 朱金の奥方はその姿を目の当たりにし、困惑した。

 雛が育つためには滋養がいる。しかし雛は、彼女が思い至り且つ取り寄せられる限りのどんな食べ物も、一向に口にしようとはしない。

 しばらくの後、雛は目に見えて衰えていった。

 雛の成長のために必要な食事は、彼女の想像し難いものであった。黒王すら、あの美しい鳥の食事には頭を抱え、そして遂にそれを知ることなく死んだ。

 万に一つも雛の望む食事を与えることが出来たなら、雛は一瞬に産毛が抜け美しい光沢を持つ羽に生え替わり、そして両の翼が生え成鳥となるのだが、不死鳥の雛のことを長く語り継がれた伝説の中でしか知ることのなかった朱金の奥方が、そこに思い至る術は何もなかった。

 成鳥の生き血でなくては飲んだところで効き目はない。

 朱金の奥方は固くそう信じていた。それでなくとも今、奥方は雛に対して異様な愛着を感じつつある自らを自覚し、次第に鳥の血にまつわる伝説を忘れ、鳥の世話こそ自らの喜びと感じていた。目に見えて弱ってゆく雛に、奥方は黒王が死んだ時もこれほどではなかったと思われるほど心を痛めていたが、時折彼女の目に映る雛の躯を包む淡い虹色の光彩は、その輝きを増しているように思えてならなかった。

 こうして弱っていく雛に胸を痛めながらの数日が過ぎ、その日も朱金の奥方は遠方より取り寄せた珍しい果実を今度こそ雛が好んでくれれば、と思い乍ら、人払いをした自室にて鳥籠の傍らに座し、雛のために自ら小刀を手に、果実の薄皮を剥いていた。

 その最中、ふとした弾みで手が滑り、鋭利な小刀の先は持ち手とは反対の奥方の手指を突いた。そこには一筋の傷がつき、すぐにぷつぷつと赤い血の玉が浮かんだ。

 朱金の奥方は眉を顰め、一度果実と小刀を脇へ置くと、懐から取り出した半巾で傷口を拭った。傷は浅く、痛みはとるにたりない。
 彼女は再び小刀と果実を手に取ると、薄皮を剥き終え果肉を細かく刻み、雛に与えるために鳥籠の格子を開けると、一切れをつまんで手を差し入れた。

 その時、彼女のつけたばかりの傷にまたも赤い色が走ったが、大した痛みもないために奥方は気にも留めず、そのまま果実の切れ端を持った手を雛の方へと近づけた。
 弱りながらも鳴き散らしていた雛は、奥方の手に気がつくとぴたりと騒ぐのを止めた。彼女はそれも気に留めなかった。そして雛の嘴にそっと、新たな餌を近づけた。

 ごく無造作に。

十四、目撃

 突然、絹を裂く様な悲鳴が後宮内に響き渡った。甲高いその叫び声を、だだ広い後宮にいる誰もが聞いた。それほどの悲鳴だった。悲鳴の出所の近くに居たある者はその時、頭上を羽ばたく一羽の鳥が通過するのを見たと述べた。彼の鳥は遠目に見ても尚美しく、そして淡い虹色の光彩を放つ両の翼を優雅に羽ばたかせ、あっという間に見えなくなったが、しかしそれは悲鳴を聞いて気の動転するあまりにみたまぼろしだったのかも知れない、とも、後にその者は語った。

 淡い虹色の光彩を放つ鳥の羽ばたく姿は筆舌に尽しがたい程絢爛にして流麗な美しさで、そしてその姿はほんの一瞬、瞬きするかしないかの内に、視界から消え去ってしまったから。

【第六夜へ】

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