
2020 / 月は綺麗だったか / 2021
あけましておめでとうございます
と言いたいところだけど、本心からその言葉が言えないでいる
未曾有の壁に無力さを思い知らされたままだから
暦なんてもので区切っただけで全てスッキリ目線を変えられるような人間だったら長年、音や言葉を産み出し続ける道なんて選んでいないだろう
だけど、あくまで自分のやり方で、きちんと消化して乗り越えていかなければならないことは確かだ
だから、まだ形にしても居ないし、RECもまだだけど、3・17のsleepyheadの3周年までに何か1曲形にして、胸の内のケジメにしたい
ロゴである三日月、3という数字。なんとなく3周年というのはとても特別なものに感じていた
決意もなく始まったあの日からしたら、この旅は3周年で完結するのかもしれないと漠然としたイメージがあったくらい
良くも悪くも全ての計画は崩れ去った今、自分は何を描き、何を提示し、何を希望として生きていくべきか
それに向き合うための精神と体力をやっと取り戻して来たように思う
まるで脳停止したような感覚で、傷つくことから逃げつつけた日々だった
当然、新しいものを産むことなんてしなかった
誰かと生の空間で共有して、感動しあうあの空間を知ってるものとしては、時代に合わせたやり方のどれもが満足点には届かなったから
ただ、自分が挑戦せずに否定するのは嫌な質なので思いつく全ての挑戦した気がする
残酷にも、挑戦したイメージに応えるような手応えはなかったと思う
だけど、その挫折を挫折のまま風化させては、無鉄砲な挑戦も成仏しない
挑戦はその後との活かし方まで含めて挑戦してやっと意味を成す
そういう意味では挑戦することだけに生気を吸い取られたのかもしれない
ただ楽しく感動を享受できる場の重力が変わり、常に低酸素と押しつぶされそうなプレッシャーと戦う日々だった
そして、その辛さ自体を飲み込むことができず、脳停止
それらの2020の出来事を、やっと客観視できる自分まで戻って来た
あとはそれをインストールして、荒れ狂う感情と向きあい
自分にしかできない作品に昇華していくことが、自分の生きる道だ
あまりに説明的で、どこかで理解されようと角を取りすぎたような反省が多々あったので、今年はもっと自由に狂っていきたいと思う
苦手なことに挑戦し続けた日々も、これからの未来の伏線にしていく
そのために
一番得意なことで、表現していこうと思う
2021楽しみにしていください
抱えられないほどの痛みは、きっとこれまで以上にぶっ飛んだ世界に変わります
感動する為に、痛みをいとわない
やっと、トンネルの先に光が見えた
その光景を逃さない
綺麗な答えはなくていい
決意ひとつで、人は進める。