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小史・宗教機構と世俗権力の歴史 キリスト教はどのようにしてヨーロッパの支配者になったか

ここしばらくの事件で日本でも可視化されてきたように、宗教組織は政教分離の原則とは裏腹に世俗権力と密接な関わりを持ち続けてきた。

そもそも政教分離が原則として唱えられたのはなぜなのか、それ以前はどのようにして国家が統治されていたのか、宗教権力と世俗権力の間でどのようなトラブルが生じていたのか。

こういった歴史は日本人にとってあまり馴染みのないものだ。それゆえに記事にする価値があると私は考えた。

しかし、同時に宗教と政治という「素人が軽率に触れると火傷をする題材」であること、時事ネタとしてあまりにもホットであることもあり、公開すべきか非常に悩んだ。

私は自分の興味関心が向くままにものを書く生き物だ。小説も書くし、エッセイも書くし、時にはなにかを訴えかける評論も書く。こんな危ない題材で休みの日を浪費して15,000字も書いている。

その楽しみを続けていくために、今回は公開すべきではないのではないか。そんな不安があった。

しかし、「ぜひとも読んでみたい」という応援の声に背を押され、私は条件付きでこの記事を公開することに決めた。

以下に概要と条件を記す。それを理解し、冒頭部分を読んで納得できる方のみ続きを購入して読み進めていただきたい。

・この記事では古代ギリシアの政治と思想を源流として「国家運営と思想」の関係がどのように変化していったか、また、そこにカトリック教会がどのようにして参入していったかの概説を行う。
・その後、フランク王国の成立と教会の関係について扱った上で、ヨーロッパ地域世界とキリスト教の「世界観」、教会の権力がなぜ世俗に通じるかについて論じる。
・私は宗教や政治の専門家ではない。哲学と文化人類学、宗教学を大学で学び、アマチュアで歴史に熱中しているだけの市民だ。最大限正確な表現を試みるが、正しい知識を求めるのであれば専門家の本を読んでほしい。
・私は特定の宗教や思想、国家に肩入れしないよう心がけてこの記事を書いた。よって弱者の悪行も強者の善行もただ平等に事実として記載した。
・史料が失われている時代について記述する際は私が知る範囲で妥当と思われる推定・推論に基づいた。
・ある程度通史の形で書いていくが、現代の宗教と世俗権力については扱わない。事情があまりに複雑で、しかも進行形のものが多く、情報が不足しており、誠実な記事は書きようがない。
・有料部分の内容、特に目次番号3-1以降は他言無用、転載禁止とする。

今回扱うのはキリスト教、とりわけ宗教改革以前のカトリックについてだ。

多くの日本人にとってそれほど身近ではないこの宗教は、2019年末日時点でカトリック教会だけでも13億4400万3千人の信徒を抱えている。世界人口に占める割合は17.74%だ。

実際の統計については下のリンク先から読むことができる。

人口だけではなく勢力規模も広く、カトリックの信徒が存在しない大陸は存在しないほど。では、どうしてそこまでの影響力を持つことができたのか?

我々日本人はキリスト教が辿ってきた歴史を共有していない。キリスト教は伝来した宗教だからだ。そのため、背景を理解するためにまずは歴史を調べなくてはならない。

どうしてキリスト教が世俗権力に影響力を持つようになったのか。それを知るために、まずは「思想と政治」の歴史を遡る必要がある。

1-1 古代の思想と政治

日本でも儒教や仏教の思想は政治面で影響を残している。

これは当然のことで、思想とは我々人類が「善悪」「功罪」といった基本的な「判断の基準」について議論を交わしてきたひとつの形だからだ。

その最たる例として知られるのがまさに哲学であり、そして古代ギリシアは政治のためにまず哲学をする必要があった。

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