【56】誕生日を祝えない年齢 #睡沢週報
祖父が79歳の誕生日を迎えた。老いてなお健啖家の祖父はパック寿司をぺろりと完食し、缶チューハイを楽しみ、そしてテレビで野球観戦に熱を上げながらデザートの梨を満喫していた。
現役時代は優秀な技術者でスポーツマンだった祖父。昭和の親方気質を発揮して地元の弱者に頼られている彼は本当に立派だ。長生きしてほしいと思う反面、長生きするのが本当に彼にとっての幸せなのかと不安になる。
家族の老いに向き合う態度
祖父の認知症はかなり重い。言葉が出てこない、同じ話を何度もするといったことは日常茶飯事だ。要支援2ではあるが、要介護認定も降りている。
それだけならいい。肉体的な介護がそこまで必要ないうちは私も家族としてできることをするし、そのために在宅の仕事を選んでいる。
しかし、祖父が抱えている問題はそれだけではない。彼はプライドが高く、すぐものに当たり、暴言を吐くことにためらいがなく、人を傷つけるジョークを面白い冗談だと思っている。端的に言って性格が悪い。
すぐに怒鳴る。すぐにものを壊す。すぐに人を悪く言う。そういう人が自分の能力の衰えに直面して、プライドが傷ついた時、どういう態度をとるか。
同居している家族のストレスは限界に近い。彼自身もストレスを抱えているし、彼の暴言は半分くらいが彼自身に向けられている。それでも大声で自罰的な暴言を吐かれると気分はよくない。
家庭内の孤独
家族は確かに私を愛してくれたし、彼らなりのやり方ではあったけれども大切に育てられたという自覚がある。
それなのに、最近は家庭内でも孤独を感じる。
私にとって今の祖父は介護の対象だ。ある意味で客体化してしまったと言えるのかもしれない。私が口にする「私たち」の周縁にもはや祖父はいない。
そして、彼の妻として50年以上を共に過ごしてきた祖母は「そういう人だから」という諦めのこもった言葉で私を慰める。結局彼女は祖父の隣に立っている人で、彼女もまた「私たち」の周縁にいない。
家族はこの2人だけで、それ以外に頼れる身近な親族はいない。だから、私はすでにただひとりになった。
一過性の傷や病ならともかく、祖父の有様は老いによるものだ。これは決して巻き戻せない。そのことを噛みしめるたび、私の孤独は波となってつま先を濡らすのだ。
逃避的な快楽の貪り
最近は外出が増えた。一日中家にいると息が詰まるからだ。せっかくの夏を自室で仕事と原稿だけして終わらせるのも馬鹿馬鹿しい。
周囲で新型コロナウイルス感染症に罹患する人がまた増えているから、少しだけ怯えながら出かけている。私は一度かかっている。あれは地獄だった。家族がいなければ死んでいた。
老齢の祖父母に伝染れば死も十分にありえる。だから、ここ数年はかなりしっかりと外出を自粛していた。そろそろ限界だ。
11日には『リボルバー・リリー』を観に行くし、そのまま飲み会にも参加することになっている。今月の後半に横浜で遊ぶ予定もある。生存のために快楽を貪って羽根を伸ばすぞ。