『9割が女性患者の難病』にかかった『ボク』の話⑨
※この記事は少し長くなります。急がず焦らず読み進めて頂けますと幸いです。
こちらの記事の続きになります。
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27歳の大晦日。
1年を振り返った。
目標だったソムリエ試験に合格。
さらには芸能の仕事の方も、完全にではないけど概ね自分の描いた目標を達成することが出来た。
すごく順調な年だった。
体調面でも自己管理の甲斐があってか、年明けに喉の不調があった以降は大きな崩れもなく過ごすことができた。
「SLE」になってからここまで何もなかった年は初めてかもしれない。
きっともう自分は大丈夫なんだ。
もっと自分のやりたいようにチャレンジしてみよう。
…そう過信してしまった。
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資格を取得してからソムリエは少しお休みすることにした。
試験に向けて飲酒量が多くなっていた自覚は有り、まだ痛みは発生していないが、既に壊死している左の股関節の事を考えて一旦お酒を扱う仕事から離れることにした。
本当はこのぶどうのバッジをつけて堂々とソムリエとして働きたかったが、体が動く今のうちに違う仕事をしてみたいと思い、そう決めた。
なので年明けすぐに仕事を探すことになる。
求めていたのは体に負担の少ない、デスクワーク系であること。
そして芸能の仕事の方は続けていくつもりでいたので、その都合に合わせやすい仕事を探すことにした。
デスクワーク系で探したのはもう1つ理由があって、今後左側の股関節や両膝関節の壊死が進んだ時に、同じ様に歩ける保証はないと思ったので、もし車椅子で生活することになったとしても、仕事ができるように今、デスクワークがどんなものなのか経験したかったというのもあった。
そうした様々な理由があって、探してみたらどうやらコールセンターの仕事がおすすめだとネットに書いてある。
確かにコールセンターなら座りっぱなしだし、体の負担も少ない。
バイプレイヤーと呼ばれる、脇役で活躍されている俳優さん達の下積み時代の話を聞いていると、コールセンターでバイトされていた方が多いように感じる。
しかもネット情報によると、シフトを合わせやすいだけでなく、声を使う仕事なので発声練習にも繋がると書いてある。
確かに自分は発声に難があり、喉を痛めやすい発声をしているらしい。
なので今後ボイトレに通おうと思っていたが、このバイトなら一石二鳥じゃないかと思い、すぐに応募した。
そして面接した次の日から働くことが決まった。
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面接に来た時に驚いたが、職場となる場所が以前通っていた専門学校の目と鼻の先にあった。
まるで故郷に就職のためUターンで戻ってきたような、不思議な気持ちだった。
業務内容としては、まずは「テレアポ」という、とにかくお客様に電話を掛けまくることから始まった。
自分がお客様に発信を行い、サービス内容を説明し、興味を持ってくれた人がいたら、経験を積んだ営業の人にバトンタッチして契約を勝ち取るという流れだ。
初日は先輩となる方の電話の内容をリアルタイムで聞いて学ぶ。
業務終了時間近くになって、練習ということで何件かかけることになった。
割と早い段階で1件獲得することが出来た。
元々接客で予約の電話を自分が受けることが多かったので、電話対応には慣れていた。
だからだろうか、バイトリーダー的な方から、対応が上手いと褒めていただくことができた。
自分としては渡されたマニュアルをただ読んだだけのつもりだったので、褒められるようなことではないと思っていたが、やはり褒められると嬉しいものだ。
それから入れる日はなるべく入ることにしてみた。
すると入った最初の月に獲得数が事務所内でトップとなった。
成績が良いとインセンティブも貰えるらしい。
驚いた。
まさか入ってすぐにこのような結果が出せたこともそうだが、ほとんどフルでやってみて、体の負担をさほど感じなかったことに対して驚いた。
座りっぱなしで仕事をすることがこんなにも体に負担がかからないのか、今まで立ち仕事を続けてきて、いかに体に負担をかけていたのか思い知った。
正直今までやって来た仕事と比べると、少し物足りないとさえ感じるくらいだった。
こんなに楽なことしてお金を頂いてもいいのかと錯覚してしまうくらいに。
そんな風に感じてしまうのは、まだまだ自分は古い価値観を持った人間なのかもしれない。
別にそれが悪いことではないとは思っているが、これまで汗を掻いてこそ労働だというような環境でやってきたから、それが染み付いているのだろう。
これから先、体のためを思えばそういう価値観は変えなければならない。
そういう気づきを得られただけでもデスクワークを経験できた意味はあったと思う。
労働時間としては8時間のフルタイムで、基本的に営業電話をかけられる時間というのは法律で決まっているので、残業することは無く働けていた。
こういうデスクワークなら、健常者の人達と同じ様に働ける。
そう感じた。
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2ヶ月目に入った時に、バイトリーダーではなく社員さんから声を掛けられた。
「クロージングの方やってみない?」
クロージングとは契約をまとめる仕事だ。
先月まで自分がやっていた仕事が「テレアポ」で、そこで獲得したアポイントにクロージングを掛けにいくという業務で、ひとつ仕事のレベルが上がることになる。
さらにその月から扱う商材も変わることになり、マニュアルもまだまだ試行錯誤な状態だったので、最初の方は契約を獲得するのに苦労をした。
経験が長いバイトの方も苦労されていたので、その月は契約獲得数に対するインセンティブは無かった。
だからこの仕事に熱を入れるより、体が動く今のうちに、ダブルワークで違った種類の仕事も経験してみようと思った。
オフィスワークでありながら、ある程度体を動かすような仕事を探すことにした。
そうなると営業職がそれに近いのではと思ったのだ。
それに営業の仕事はアポを取ることが多いと思うので、今やっているコールセンターでの経験を活かせるのではと考えた。
コールセンターでトップの成績を出せたこと、これまで飲食で培ってきた接客のスキル等を活かしてできる営業の仕事。
ネットで検索したら面白そうな仕事を見つけた。
インターネットで完結する食材発注システムを飲食店に売り込むという仕事だ。
こちらもアルバイトで募集をしていて、シフトの融通が利くらしい。
しかもインセンティブもあり、時給が良い。
ITベンチャー系の企業といった雰囲気の会社だった。
応募してみることにした。
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なんと採用して貰える事になった。
どうやらこの会社はこれまで営業の人を外注していたみたいで、ここ最近になって、ちゃんと社内に営業部署を作ろうということになり、アルバイト募集をしていたようだった。
驚きだったのは、社内に営業経験がある人がいるわけではないのに、未経験の自分を採用したことだった。
僕が面接をした時点で、営業部にいたのは別会社から出向してきた営業未経験の人と、最近派遣で来た人だけだった。
そしてそこに僕ともうひとり未経験の人が入ってきたという感じだった。
これまで飲食で働いてきた自分としては、こういうオフィスでの働き方には慣れていなかったので他の所と比べようがなかったが、ベンチャー企業ってこういうものなのかなと新鮮だった。
結構自由なんだなと感じたのがこの会社の印象だった。
なによりも自由に感じたのが、シフトは自分が入れるときにグーグルカレンダーに自分で入れるような形でいいことだ。
それも2週間前に入力すればいい。
ダブルワークする上で凄くありがたかった。
こういう働き方もあるんだなと自分には衝撃だった。
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しばらくはコールセンターの仕事と営業の仕事をそれぞれ週3日やり、たまにその週の中の1日で時間が合えば芸能の仕事に入ったりもした。
休みが無い週には疲れることもあったが、コールセンターも営業も肉体的疲労というのは少ないので、なんとかやれていた。
……精神的疲労はすごく感じたが。
それでも、これまでやったことのない仕事に対して新鮮な気持ちでやれていたのでやっていけた。
コールセンターの仕事の方はまた配置換えがあり、インバウンドのカスタマーサポート系の業務に就くことになった。
お客様対応の部署で、今度は電話を掛けるのではなく、掛かってきた電話に対応するというものだった。
これでこの事務所におけるコールセンターの業務は一通り経験ができた事になる。
そうやって2、3ヶ月続けたときだろうか、足に違和感を感じた。
最近左足が重く感じる。
痛いわけではないのだが、何か違和感がある。
前に右の股関節を手術するときとは違った違和感だが、なんとなくこれは予兆だなという感じがした。
恐らくそう遠くないうちに前みたいに痛みが出てくるだろうと思った。
考えた。
このまま負担の少ないコールセンターだけにするか、外回りで歩くことになる営業を続けるか。
自分の都合に合わせやすいのは、営業の仕事の方だ。
シフトはほぼ自由と言ってもいいくらいだったし、病気で休みが欲しくなったら自由にとれそうだったからだ。
でもそういう事以上に、もし仮に手術がうまくいかなかったりしたときにできなくなるのが営業の仕事の方だなと感じた。
だったら動く今のうちにやれることをやってみよう。
最悪、コールセンターのようなオフィスワークは車椅子生活になってもできると考えた。
結論は割とすぐに決まった。
それから今後ソムリエの方も仕事として、できなくなるかもしれないと考えた。
車椅子はおろか、杖をつくような事になったら尚更難しくなるかもしれない。
それはそれで唯一無二のソムリエになれるかもしれないが、少なくとも雇ってもらえる所はないだろう。
そんなやり方が通用するのは自分でお店を立ち上げた時ぐらいだと思う。
訪れるかわからない未来に心配するより、今のうちにやれるとこまでやってみたい思いが募ってきた。
昼に営業、夜にバー等の夜営業のお店でバイトしてみようと思った。
1日の中でダブルワークをするとなると、働く時間としてはとても長くなる。
だが労働時間だけでいえば、これまで飲食でフルに働いていた時間の方が長い。
だからやれると思ったし、なにより体を酷使させようと考えた。
体に無理をさせて、痛みが発生するのを早めようと思ったのだ。
既に左の股関節は壊死していることがわかっている。
壊死している以上、これより良くなることはないし、いつかは人工股関節置換術を行うか、骨切り手術を行うかの選択を迫られる。
まぁ選択すると言っても既に右が人工股関節になっているので、左もそうするつもりだが。
だからコールセンターのバイトは辞めることにした。
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そこから営業の仕事は平日の週5日(たまに週4)で入ることにした。
18時で仕事が終わり残業もない。
普通のサラリーマンのような働き方を初めて体験したような気分だった。
これまで飲食で働いていた時は18時に仕事が終わることなんてほぼ無かったし、コールセンターの方も21時上がりだった。
身体としても18時上がりで週5日でやっても問題はなかった。
ステロイドの量も上げることなく、安定していた。
だから19時から3〜4時間位でやれるバイトを探すことにした。
やはりソムリエとして仕事をしたいと思ったので、ビストロやブラッスリー、バー等の形態で探してみた。
すると現在働いている場所から、歩いていける範囲でいい感じのお店が見つかった。
さっそく応募してみた。
一発採用だった。
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そこから平日昼の週5日間は営業の仕事をし、週2〜3日間の夜19時から23時くらいまでワインバーで仕事することになった。
最初の方は食らいついていくのに必死だった。
ただでさえ、そのお店のメニューやワインリストなど覚えることは多いのに、昼は別の仕事をやっているから、それを覚える時間が足りなくて、睡眠時間を削ったりしていた。
土日は休めるようにしていたが、やはりこの体にはこの働き方は結構堪えていた。
やはり肉体労働はこの病気に相性が悪いようだ。
そう長くは続けることができなかった。
睡眠不足によるストレスや新しい環境へのストレスなのかわからないが、血液検査の数字も悪くなり、ステロイドの量も増えた。
結局3ヶ月くらいでそのワインバーは辞めることになってしまった。
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だが色々と諦めの悪い僕は違う場所のワインバーで働けないかと考えた。
職場に近い所を選ぶから睡眠時間が削られ、ストレスが溜まっていくんだと。
なので自宅に近い所で探すことにした。
すると、自宅から歩いていける範囲でアルバイトを募集しているワインバーを見つけた。
女性ソムリエールがオーナーのワインバーだ。
隠れ家的なお店で、規模としてもカウンター数席にテーブル席が少しという規模だ。
こじんまりとした所で、動き回って仕事をするような心配はなさそうだった。
応募をしてみた。
心配だったのは女性オーナーということで、お店の雰囲気的にも募集しているのは女性のみなのではないかという印象を受けたことだ。
応募をして2週間ぐらい何も連絡が無かった。
やはり男は募集してなかったのかと諦めていたら、営業の仕事中の時間に突然連絡がきた。
その女性オーナーからだった。
どうやら応募メールを確認できたのが最近だったらしい。
だから連絡が遅れたとのことだった。
応募してから何も連絡がなかったので、他の所を探そうとしていた矢先だったからちょうどよかった。
その日の営業の仕事が終わった直後にお店に向かって面接をした。
すると既にお客様がいらしていて、その方と一緒に飲みながら面接をするというなんとも不思議な面接だった。
結果は採用。
また昼に営業、夜にワインバーの日々が始まった。
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そのお店の客層としては9割が常連さんだった。
新規で来られるお客様は珍しいらしく、本当に隠れ家的なお店だなと思った。
扱うワインはカジュアルなものもあるが、高級ワインと呼ばれるようなワインも取り揃え、そういうワインもよく注文が入った。
働く時間としては20時〜24時くらいまで働いた。
終わる時間としては前回働いたところよりも遅い時間だが、お店の規模が小さいので体の負担も少なく、終電の心配もしなくてもいいというのは凄く楽だった。
客入りの方もカウンターが満席になるのがたまにあるくらいで、ほとんど毎日のように来る常連さんを除けば3,4人/日という感じなので、負担も少ない。
そのような客入りでも、十数年以上経営できているのは常連という固定客を掴み、客単価も高めに設定することで可能にしているのだろうと感じた。
飲食店は2年で50%以上が廃業するというデータがある中で、正直立地としては良くないと感じる場所で経営しているお店としては、十数年続けていられるのはとてつもなく凄いと思う。
そんなお店の中で男性スタッフは自分だけだったので、色々と任せてもらうことができた。
ここでなら続けられそうだ。
そう感じて2ヶ月ぐらいたった頃だった。
ついに来た。
懐かしい痛みだった。
といっても前とは逆の左側だが。
そう…左の股関節の壊死に痛みが発生したのだ。
でもなぜだろう。
意外と落ち着いていた。
待ち望んでいたとさえ言っていいかもしれない。
もちろん痛いのは嫌だ。
僕は痛みに対して凄く臆病であると自覚している。
だからこそ、早く手術をして今後痛みが発生することがないようにしたかった。
まだ痛みが発生していない頃に、整形外科の先生に手術が出来ないかと相談してみた程だ。(何にもないのに手術することはないと若干怒られたが)
やっと手術ができる。
前回と違うのは不安よりも期待の方が大きかった事だ。
きっと良くなると信じることが出来ていた。
だから前向きに切り替え、手術に向けての準備が始まった。
28歳の秋頃だった。
==⑩に続く==
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こんにちは。
改めましてKOH@メタメタ系男子です。(sle_koh)
この記事も9話目になりました。
前回の投稿から結構な日にちが空いてしまいました。
実は現在も膠原病科で入院していて、退院の目処が立たないという日々が続き、なかなか筆が進まなかったというのもあります。
ですが、昨日退院できることが決まりました!!!!!
これまでの様子は「入院生活の記事」の方で描いていますので、よければ御覧ください。
さて、今回の話ですがこれは一昨年の話ですね。
前の年が色々と順調に行ったので調子に乗った僕は、無理はしないと周りにいいながらも、無理をした生活をしていました。
結果この年の11月に手術をすることになったのですが、あんまり後悔みたいな想いはありません。
むしろこの年に手術できるように自分で調整したつもりでした。
左の股関節に違和感を感じた時に思ったのが、これは近いうちに来るなぁという感覚でした。
なのでこのまま不安を感じながら日々を過ごすより、とにかく今やりたいこと、やれることを優先してやりたい。
その結果、手術することになっても仕方がない。
いや、体が若く回復力があるうちに手術したいという気持ちが高まってきました。
そう思えたのもやはり右側の人工股関節の予後が思った以上に良くて、日常生活に関してはほとんど違和感なく、動かすことができていたという所にあります。
だからこそ左側も同様に手術して、バランスよくしたいなぁと考えていました。
自分としては両方やってよかったと思います。
手術したのが片側だけだと、無意識に手術していない片側を庇うような形で行動することが多く、バランスが悪いなぁと感じていたんですね。
まぁ、だからこそ左側に負荷がかかり痛みが発生したのかもしれませんが。
両方を人工股関節にしてからは、バランスが悪いと感じるのは減ったように感じます。
スポーツなど激しく体を動かすような動きには制限がありますが、日常においてはほとんどありません。
歩くことはもちろん、全力で走ることもジャンプすることもできます。
若干ですが身長も伸びたように感じました笑
人工股関節自体には寿命があり、現在では30年持つとも言われているそうです。
そうすると50代後半くらいに再手術になるかもしれませんが、僕の場合はそこまで生きられるかもわからない体なので、再手術が来ることはむしろ前向きに捉えたいと思います。
このお話ですが、恐らく次の⑩話で一旦区切りになると思います。
⑩話の続きが「入院生活の記事」という風にしようかなと。
もう少しだけお付き合いくださいませ。
ここまで長文をご覧いただきましてありがとうございました。
これを読んでくださった方の1日が良いものでありますように。