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躁鬱病7年目。

7年前の今日。

うつ病とゆう診断が躁鬱病に変わった最初の日でした。

引っ越し先の病院に行ったときカウンセリングで泣いた記憶が鮮明に残っています。

何か所も精神科に通っては「うつ病」と診断されていたのに

その先生だけは「これはうつ病じゃない。このまま同じ薬飲んでいたら危ない。」

そう言われ、「躁鬱病だね」と言われたときはどんな病気なのか

全く分かっていなくて、それから2週間に1回通って

何回も注射を打っては薬が重くなり副作用で太り・・・

そんな毎日が日常的だった僕は、いつしか障害者手帳まで持つようになって

ヘルプマークをバックぶら下げて外に出なきゃいけないところまで行きました。

過去は振り返りたくないタイプですが

プライベートな過去は「後悔」「悔しさ」「辛さ」ばかりが残っているので

それを本気でお金の為にぶつけようと決めた時は

全員が敵に見えました。

1人or独りで生きていくとも決めたのでなんだかとっても息苦しかったです。

外見から判断する事は恐らく不可能でしょう。

そして日常的に一緒に居たとしてもその日の結果、躁か鬱かハッキリと分からないと思います。
世間的にもそこまで受け入れられていない病気だと肌で感じています。

「みんな言わないだけで弱い所が必ずある」

勿論それはあると思います。
別に気を使ってほしい訳でも、寄り添ってほしいなんて考えていない。
ただ自分の事を包み隠さず打ち明けただけなのに「甘えんな!」って言われたり。
自分の事話してバッシングされるぐらいならいっその事自分の事弱い部分を見せない方が楽だ。

持続して働く事が難しく、沢山の職種を経験していきました。
いつしか「変わってるね」が誉め言葉になって
新しい自分をブランディングしていくことに磨きをかけていきました。
心を失い、素直さや正直さを失い、ウソをつくことが当たり前になっていきました。
病気でいる事から逃げたのです。

上辺だけの友達付き合い。
本質的にはキャラじゃない人間性。
僕はこうして大人になっていきました。

でも、もう疲れました。偽る事に。

自分らしく生きよう。
別に隠すことないじゃん。
心のどこかで、万人に受け入れてもらいたい。
そんな気持ちがどこかにあったのかもしれません。
自分らしくいようと思った時に初めて類は友を呼ぶんだなと感じたので。

みんな平等ではありません。
深い傷を負っている人、涙を流してきた人は他人の傷みが分かる人です。
社会に出たら扱いづらいタイプの人間で、働きやすい環境は無くどちらかとゆうと馬車馬のように利用される。
やっと働けた会社はとんでもない所で、でも後戻りできなくて。
そんな思いをしてきた人が最高の環境を与えられたときの力は想像できない程の強さを持ち合わせていると思います。

今回のコロナ感染拡大から、今まで自分に何ができるかを考えてきました。

家にいる事だけが社会貢献なら、恐怖や差別と相まみえながらも

命の為に外で頑張っている人があまりにも酷な話じゃないか。

給付金の対応は遅れ、国の施策は国民でも想像つくような展開にしかならなくて

国や自治体の発信だけではなく自分から行動はできないのか。

考えた時にお前にできっこないだろ!ってことをやる価値があるんじゃないかなと。

僕は将来こうなりたいが幾つもあるんですが

講演をしたいなって思いました。

web講演。セミナーのような専門性は持ち合わせていないけど

独りじゃないとゆう事は伝える事ができる。

障害を持った人や、社会に左右されている人を

2歩前進させるような講演がしたいです。

自分に実績や自身ができてからかなとか考えていたんですが

考えているうちにどんどんワクワクしていく自分を抑えるよりも

行動していく方が絶対にいいと思いました。

経験を伝える仕事に適した人生経験なのかと言えば

どちらかとゆうと暗い方が多いんですが、敢えてそういった講演がしたいと思いました。

変ですかね?笑



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