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「1/f」を知って感じたこと。
昨日、キャンドル作家さんといろんなお話しをしていて、彼女が「キャンドルの炎は、ゆらぎ、だと感じている」という言葉に、はっとした。
「ゆらぎ」🟰「1/f エフブンノイチ」という言葉は聞いたことあるけど耳を素通りするだけだった。
知る前の私は(特に占星術をしていると)法則性や曼荼羅、揺るぎないもの、に焦点を置き、四角四面の中でカチっとあること、無駄のない事に自らを縛ってたな。と感じた。
(この「ゆらぎ」は今後のセッションにも響いていくと思う。)
「1/f 」ゆらぎ、の世界は、運転中の車のハンドルの遊びの部分に思う。
「1/f」は音の世界で例えられてとても解りやすく、それを思ったとき、🤩人生全ては、本来「1/f」ではないか?と思った。
私たちは「〜ねばならない」に縛られ、優等生になる事、そうある事を教え込まれ、しかし教えられる理想の世界からは外れてしまう。
たとえ、はまったとしてもそこに「1/f」は無いんじゃないか?
だからどちらにしても生きづらさは多くの人の人生の中の何処かに生じて、極端な場合、命を断つこともあるのではないか。
そもそも私たちはそんな風に造られていないのではないか。
こころにも、身体にも(今ある命が自然界からの贈り物だとしたら)誕生から死までの道のりは「1/f」で出来ているんじゃないか。
テクノロジーには「1/f」は無い。
自然界のみにあるからこそ、ゆらぎ、「1/f」を感じるときに落ち着き癒しが起きるのでは無いだろうか。
って感じたの。
って思ったら、羽地さんがコンダクトするプレイバック・シアターは、その人生の中の「ゆらぎ」を、「1/f」を扱う(扱う🟰すこし表現が違うかな。適切な言葉が見つからない)時間だ!って感じたの。
私たちは成功しなくちゃいけないものなの?
私たちは常に最高であらねばならないものなの?
揺らがず、信念をもってやり遂げなければいけないのが人間なの?
そこに、心から癒える事ってあるのかな。
羽地さんの、プレイバック・シアターの「場」は、どんな時でも、どんな人生でも全て包み込む。
悲しくても 苦しくても 楽しくても 全部ホールドする。
辛かった体験に塗り替えが起きたりもする。
それって「1/f」だな。って感じたというか、人生の中の「1/f」を思ったとき、どんな生きかただって素晴らしいんじゃないか!?と感じたとき、突然、プレイバック・シアターの事を思い出した。
うまく説明仕切れてないかもだけど、昨日は私的に、ゆらぎ「1/f」を感じて、すこし(大いに?)人生観がアップデートされたのでした。
11月10日に仙台で羽地朝和さんのプレイバック・シアターあります。
体験しないと分からない世界なので、本当にどう説明していいのか、今まで分からなかったんだけど、
私にとって感じる世界と羽地さんの創り出す世界が「1/f」を通してリンクした昨日だった。
ああ、そうか!これだ!って。
プレイバック・シアター・仙台。
あと2人くらい入れます。
興味あったら連絡ください。
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