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【One Four Kengo】幸せに愛されて

中村憲剛が引退を表明してから1月半がたった12/21に、等々力陸上競技場で引退セレモニーが行われた。
引退を表明した時は、まだやれるって思っていたのにこのセレモニーが行われると、本当に引退するんだなって感じた。

中村憲剛という選手は、18年間川崎フロンターレ一筋で日本代表として、ワールドカップにも出た選手で、2017年の初優勝したときには年間MVPもとっている。背丈も身体能力も平均的(本人はそれほど高くないと言っていたが)、猫背で、18年間も現役生活できるかとは思えなかった程だ。その選手が沢山の人に惜しまれながら、幕を閉じようとしていた。

そもそも憲剛選手が川崎フロンターレに入団した頃は、それほど強くなかったフロンターレだった。しかし、コンスタントに結果を出し続け、かつ地域密着活動にも力を入れるようになったことで、広く認知されるようになった。
憲剛選手も川崎の防災活動などに協力していたこともあってか、セレモニー当日は川崎の消防関係者や警察関係者からもねぎらいの言葉などをかけられていた。
このセレモニーでは15000人のサポーターの他、ご縁のあった選手や著名人などが駆けつけてくれた。試合の翌日にも関わらずだったり、サッカー生活から離れた状況の中きてくれるなど…これも憲剛選手の人柄だと言える。
しかし、人柄だけではなくここまで来たのは憲剛選手の努力もあったからだと言える。

認知活動というのは、カップラーメンを作るように3分で結果を出せるようなものではない。コツコツ地道にやっていくにつれて相手に知ってもらうものだった。川崎フロンターレも過去の経緯もあって(ここはあえて省略)、広まるには時間がかかったがそれにもめげずにコツコツやり続けた結果、沢山の人に愛されるようになったと言える。

私の知り合いで、「中村憲剛のユニフォームしか買わない」という人がいるが、そういう人も川崎のサポーターには多くいるだろう。それほどまで憲剛選手と川崎フロンターレの認知が広まったと言える。

憲剛選手の引退は寂しいが、川崎フロンターレの中での新しい時代の幕開けなのかもしれない。ただ、続いていたものを止めることはないことを願う。


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