害のあることから断ち切る決断①
私は15歳で医療過誤を受けた
私の母親が統合失調症であるため、20年前は遺伝説を信じる研修医終わりの若手医師によって、「統合失調症の子どもだから統合失調症だろう」という扱いを受けた。詳しい記事は↓
医療過誤だと主治医から説明を受けたのが15年後
結局の所、このnoteには書けない事件に幼少期から巻き込まれていたのと…度重なるイジメ…家庭環境の劣悪さ(他人には分かりにくいネグレクト)、相談出来る大人も不在で、自発的入院したはずなのに、医療保護入院になり…医師や看護師から人間扱いをされずに10代を過ごしました。
抗精神病薬(1剤しか服用してなかった)を自己流(極端な減薬ではなく、ピルカッターを用いた)で減薬して、数ヶ月なにも症状がないので…
20代で、統合失調症ではないとなりました。
(後に医療過誤の説明は30代で受けることになります)
結局…私は何だったの?
このnoteには書けない事件に幼少期から巻き込まれていたのと…度重なるイジメ(ランドセルが和式トイレに入れられてたりetc…)家庭環境の劣悪さ(他人には分かりにくいネグレクト)、相談出来る大人も不在で、自発的入院したはずなのに、医療保護入院になり…医師や看護師から人間扱いをされずに10代を過ごしました。30代で「10代の入院と投薬は不必要だったと当時の上級医である今の主治医が言っていました」
私が抱えているのは
PTSD(心的外傷後ストレス障害)
日本でICD-11が正式に運用されるとなると
C-PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)に診断名が移行されるかと思います。
私は、幼少期から他人を信用出来ずに生きてきました。友達づきあい程度は普通ですが、大人相手が苦手で萎縮してしまうタイプでした。
抗精神病薬が必要なくなった時に、主治医からカウンセリングが必要で、成人してるけど非言語的アプローチをしないとダメだとなり…後々知ったのですが、私の通院先の病院のカウンセリングでは、成人にはセラピーをやらない方針の病院だったらしいです。
初代臨床心理士のお陰で、今の自分がある
初代臨床心理士も主治医の無茶振りのオーダーにかなり戸惑われてました。普通、セラピーでもやないあり得ないオーダーなんですから。(それは特殊過ぎて書けません)
初代臨床心理士が退職したら…後任の心理士が合わず…主治医が
「僕が、それを引き継ぐよ!」となり…普通の外来日に調子と処方を貰い、同じ週の主治医が都合が良い別日にカウンセリング・セラピー・暴露療法をやることになった。
かれこれ…6年くらいはやったのかな?と思う。
しかし…ド素人がやる事なので、薬ではない心の副作用が強く出てしまい辛かったです。
主治医は元々忙しい方で、心配をしていたのですが自ら首を絞める形で自分で仕事量を増やしていきました。(他患からはクレームが酷かったです)
私は、仕方ないので…文句も言わずひたすら我慢してました。私も、特別指定豪雪地帯に住んでいるので冬は片道4時間掛けて病院に行き、帰りは遭難覚悟で通院してましたが、他の方より受付を済ませて、当日予約の人の診察も待って最後まで18時半近くまで普通に待っている日々を我慢していました。
主治医忙しくて、遂に傷口を開けた私を放置プレイ
主治医のキャパシティが超えて…私も大学が忙しかったのがあり、主治医が勝手に開けて傷口が広がってしまったパンドラの箱が放置プレイに。
診察も雑になってきて、私の話は聞くこともなくなり…
私は医者ではないので、分からないこともあります。尋ねても質問返しされるという。
昨年…24日間の実習を終えてから、固形物を受け付けなくなったまま、次の実習を迎える時…他職種やいつも会う人などに激ヤセぶりにビックリされましたが…なんと!なんと!
肝心の主治医が全く私の目に見えるはずの身体の異変を全く分かっていなかったー!
8日実習でしたが4日で熱発と歩けない腹痛のWパンチで実習辞退しました。
この記事をご参照ください↓
4月から抑うつ状態、6月から悪化
主治医の診察に行っても、話をしても信用して貰えず…
担当ワーカーに相談するという不思議な状態になりました。ワーカーは当然主治医に報告しますが、トンチンカンな指示で私もワーカーも困惑して…ワーカーがゲートキーパーになってくれていたお陰で首の皮一枚繋がってました。
8月に入院することに
ワーカーに診察同席して貰った途端に入院宣告に。しかし事件は起こりまくりました。↓
退院してから状態が悪化
支援者向けの自殺予防の書籍などにも、精神科病棟から退院してから、自殺率が高いと書かれているものもある。
そもそも、休息入院が休息にならなかったし、事件は起こるし、治療はないして…
退院してからの方が状態悪化しました。
長くなるので②へ
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