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大学で日本史を学ぶということ

■最初に(読んでほしい人)

・これから大学で日本史学を学ぶ人
・日本史に興味がある人
・大学で日本史を学ぶって何をするの?と思った人

■中等教育で学ぶ日本史との違い

 日本史とは、もちろん日本の歴史のことです。
 では、「日本史」と聞いて、どのようなことを勉強すると思いますか?

 多くの方は中学校や高等学校で学習した社会科の授業を思い浮かべるのではないでしょうか。もちろん大学でも古代〜近現代について日本の歴史を体系的に学ぶ講座は開設されているでしょう。
 しかし、大学で学ぶ日本史は教科書に沿って流れを理解し、暗記をするだけの社会科の授業ではありません。

 日本史を学ぶことは、歴史上のある事象や人物について多角的に考察することだと考えています。

■日本史を学ぶには広い視点が必要

 突然ですが、豊臣秀吉による「刀狩り」を学校でどのように習ったか覚えていますか?今の教科書にどのように記載されているかはわかりませんが、
 ・農民から刀を奪い一揆を防ぐため
 ・刀を大仏作りの材料にするため
上記のように習った方が多いのではないでしょうか。
もちろんこれも間違いではないでしょう。しかし、この2つの見方はどちらも豊臣秀吉という支配者側の視点です。
 では別の視点でこの「刀狩り」を見てみるとどうでしょうか。例えば武器を取り上げられた農民たちはどのような反応をしたのでしょうか。また、刀狩りに対し素直に従ったのでしょうか。
 藤木久志先生の著書である『戦う村の民族を行く』を参考にし、少し考えてみたいと思います。

・村の子どもは成人すると刀や脇差を見に帯びる慣しがあった。
・戦争の時代だけに彼らは武器を大切にした。
・子どもの成人祝いは、①名前を変える、②刀を差す、③前髪を剃るという3点セットだった。
・おそくとも戦国後期には「農民をはじめとしてすべての者」の成人祝いに「烏帽子儀」(戴冠式)よりも「刀指」(帯刀式)が重んじられるようになっていた。
・中世の終わりに、豊臣秀吉の「刀狩り」を見たフロイスは「人々は刀の喪失を無上に悲しんだ」といった。
・成人して身につける刀や脇差は、村人の生命や安全を守る、一人前の男の誇りであり、自立した人格の神聖な標識とされた。
・もし人の脇差を奪えば、村追放の重罪とされた。
出典:藤木久志(2008)『戦う村の民俗を行く』 朝日新聞出版 p.7-8

 上記のことを踏まえ、もう一度「刀狩り」について考えてみると、少し印象が変わってきませんか?
 詳しいところは、藤木久志先生の著書である『戦う村の民族を行く』を
読んでいただきたいのですが、私は高校時代にこの本に出会い、
被支配者側の人たちがどのようにして生きてきたのかに興味を持ちました。

■大学で日本史を学ぶということ

大学で日本史を学ぶということは、
史料を読み、
先行研究を調べ、
すでにある学説に対し自分なりの主張をまとめ、
他者に説明することができるようになること
だと考えています。

 近世の研究をする場合は一次史料が古文書の場合もあるでしょう。その際はくずし字を読む必要がありますし、先行研究が多い(=今までに多く議論されている)ものであれば、その整理に苦労しますし、私のように先行研究が少ない分野を選択すると論文の構成を考えるのにも一苦労でした。

 こうして出来上がったものが4年間の集大成である卒業論文です。

■歴史を学べるのは日本史学専攻だけではない

 一口に日本史と言っても、その分野は多岐に渡ります。
 例えば私が研究していた分野は地元の交通と流通についてだったので、
歴史の分野としては、地域史・交通史・流通史について主に研究していました。
地域史を研究する中で、そこに暮らす人々の生活を知りたいのであれば、文化史、宗教史等についても研究する必要があります。また、個人所蔵の「○○家文書」といった文献を読みとくこともあります。

 このように「○○史」というものがこの世には多く存在します。多岐に渡る歴史を幅広く扱える位置にあるのが日本史学専攻だと思っています。
 もしも流通史について深く学びたければ、商学部などマーケティングを扱っている学部に進学しても良いと思います。教育学部に進学すれば、教育史について日本史学専攻で学べる以上のことを学ぶことができるでしょう。もしも今、明確に特定の分野について学びたいことがあるのであれば、日本史学専攻に拘らなくても良い、ということです。どの分野にもそれぞれ今まで積み重ねてきた歴史があるのです。

■終わりに

 単純に日本史がすき・社会の教員になりたい、という理由で日本史学に進学した人の中には、日本史学専攻でなくてもよかったなという人もいましたし、卒論を書くのにかなり苦労している人もいました。
 私自身は地域史を研究したいと考え進学しましたが、それでも思うように卒論を進めることができませんでした。特に先に記述した通り、私の研究範囲は先行研究がほとんど無く、卒論の方向性を決めるのにも苦労した思い出があります。逆に先行研究が多くある分野では、自分のオリジナリティのある卒論を書くのは難しいかもしれません。
 それでも残された文献から考察をし、過去に思いを馳せることは私にとって本当に楽しいひと時でしたし、良くも悪くも先人たちが作ってきた歴史の上に生きているということに、私はとてもロマンを感じています。史料を読み解き、正しい日本語を使って文章化する、そして他者に伝えることは一朝一夕でできることではないので、必ず貴方の人生の糧になると思います。少しでも日本の歴史に興味を持っていただけたら幸いです。


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