がんになり。ちょっとレベルアップしたかな
漠然と、自分は祖父母や両親のように自然と歳をとり年相応に白髪になり、いつしか耳や目も不自由になりつつも、それでも平均寿命とされている年齢まで当然のように生きると思っていた。
いつか死ぬという終わりを想像することもなく。
30代後半で乳がんになり、告知された時は初めて自分にも「死」があることを感じた。
ただ、この時はステージも初期で転移もなかったし、抗がん剤も使わずにすんだので正直、心はまったく命の危機とは遠いところにいた。
それから8年後。40代後半で今度は卵巣がん発覚。
クリスマスの毎年いちばんワクワクする時期に。
ステージは4b。素人目にもCT画像で転移の多さがわかり、もうダメだと思った。
こんなにも突然、もうすぐこの世からいなくなるかもしれないと思うことが自分の身の上に降りかかってくるとは想像もしたことがなかった。
いつも心のどこかでは自分にはそういうことは起こらないと楽観的に生きてきた。
さすがに「なんとかなるさ」が生きる主軸の能天気なわたしでも落ち込んだ。
クリスマスもお正月も、来年また迎えられるのだろうか。
桜は見れる?
夏に暑い暑いとげんなりしながらも、涼しい部屋で夫や娘とアイス美味しいねーと微笑みあえる日はもうないのかもしれない。
などと、本気で思った。
感傷的なそれではなく。現実として、もうないのかもしれないという気持ち。
それを娘に悟られないように「いつもどうり」を心がけて過ごしたあの日々は一生忘れられないと思う。
でも、これを書いている今は卵巣がん発覚から約一年が経とうとしている。
本当に小さなささいなことだけれど、
また今年もクリスマスもお正月も笑顔で、しかも元気に、晴れやかな気持ちでワクワクと迎えられそうなことに、奇跡を感じる。
抗がん剤の副作用で髪はないし、身体はヘロヘロでも、
それでもとても元気なのだ。
わたし一人では今この世にいなかったかもしれない。
全ての方面でのサポートをしてくれる家族。
様々なかたちで心を寄せ、励まし、応援してくれる友人たち。
わたしを含む家族まるごとを心配してくれる人たち。
仕事が気分転換になることもあるのよと、在籍させてくれている職場。
自分は周りに生かされている。
そういう場所に身を置いているありがたさを知ることができてよかった。
そのありがたさを自覚しない人生でなくてよかった。
病気になってしまったけど、悪いことだけではないなと思う。
まぁ、病気になんてならないのがいちばんなんだけどね。
長年新調したかったダウンコート。
前回の冬は新しく買っても、もう来年は着ることもないかもしれないと、探すことをやめて買わなかったけれど。
今年は買うぞ‼︎
きっと次の冬も、その次の冬も着る‼︎
たくさんのありがたさを知り、
また前向きに日々を楽しめる気持ちを復活させられた自分。
ちょっとレベルアップした気分。
レベルアップしたついでに
明日発売のSwitch版ドラクエIII、買っちゃおうかな。
※写真は一年前の三崎漁港。朝市の空