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諦めていた好きなことを仕事にしようぜって本気で言ってもいいじゃないか

「ひとりビジネス」という言葉をつかって、ビジネスをすることを推している。「好きなことをリソースにして、自分の足で立つ人を応援する」をずっと言っている。

確かに好きなことで生きていけたら幸せだろうけど、そんなに甘くないよ!とすぐ言われちゃいそうな理想論のような話だけど、ここにはわたしの熱い思いがある。

甘っちょろいこと言ってんなぁ、と思った方は、もうちょっとだけ付き合ってほしい。


「好きなことを仕事にする」という拗らせた言葉

「好きなことを仕事にする」なんて究極の理想論だと思うし、拗らせた言葉だと思う。

でも、そうあるために工夫したり知恵を絞ったり、仲間と対話したり、より好きなことや得意なことを磨いて、より良いものにするにはどうしたらいいか?と問いを持って、研鑽し続けることは生きる目的としてこの上ない喜びなんじゃないか?と思う。

わたしは昔から自己表現がしたいという欲求の上を走っている。そして同時に、わたしはなんて凡人なのだろう…という失望をずっと持っている。

この会社だったら自分を表現できるのかもしれない!と就職した時も、指輪を作ろうと会社を辞めた時も… ずっとずっと自分しかできない仕事ってないのか?と模索している20年だ。

1000万稼ぐための「ビジネス」ではなくて、誰かに喜ばれる「ビジネス」は

ただただお金を稼ぎたいんじゃない。年商1億になってタワーマンション住みたいとかいうんじゃない。

自分しかできないことって何かないのか?
この世に生まれて自分が作ったものを残すことはできないものか?

こんなどうしようない説明できない突き動かされるエネルギーが、もうどうしようもなく溢れてくる。

「誰かと同じじゃなくてわたししかできないことはないのか!」 こんな拗らせたエネルギーをずっと持って彷徨って、ようやく最近このエネルギーを良い循環で回せるようになってきた。というかようやく落ち着いてきた。 だからかもしれない。

3000年前に作られた誰が作ったかわからない壺に萌える

急にひっぱりだしてきたタコの絵が描かれた壺。どうしたん?急にって感じだろう。わたしはこの壺にロマンを感じて仕方がない。

海洋様式の葡萄酒甕 前1450年頃(後期ミノスIB期)

いまからおよそ約3000年前。エーゲ海の南に浮かぶクレタ島で描かれたとされる壺。名前も残っていない人間が作った壺やら壁画が、何千年もあとの誰かに見つけられている。

この壺を作った人どういうつもりだったんだろう
これを作った人は一体どんな人だったんだのかな

わたしはこの壺を見るそんなことを思ってゾクゾクする。わたしにもこんな歴史に残る作品が作れたらいいな。後世の人がゾクゾクする何かが残せたらいいな…とよく思う。いつかわたしもこんなことやってみたい!なんて思うほど、どうしようもなく羨ましい気持ちになる。3000年も前の人に。

ずっとこういう感情がみっともないとか自己顕示欲の塊か!と思ってきたけど、だんだんと仕方ない、これもまた自分の変態性だと諦めてきた。

わたしにもこんな気質があるように、きっとだれにもこういう妙なこだわりというか変態性があるんじゃないかと思ってて、そこを思い切りオープンにしちゃうことを諦めて出しちゃえば、それは誰かの欲しかったものにつながっているじゃないか?誰かの希望になるんじゃないか?って思う。

そうして生まれるものが「ひとりビジネス」になるのでは?と思っている。

だれもがきっと持っているなんか好きだと磨いていることは、誰かの欲しかったものになる

だれしも持っているそういう変態な面、マニアックな面、止められない好きだという気持ち。

ここを解放することを諦めて、それを工夫して磨いて、もっともっとオリジナルな魅力を爆発させれば、多様性がどうのこうの言ってられないほど、

今よりさらに視点が広がるユニークな世界になるのでは?とどこか確信をしていて、安易だね、能天気だねといわれてしまいそうだ…と恐る気持ちもあるけど思っている。

だからこれからもいろんな人の「ひとりビジネス」という可能性を育むことを応援したいし、それがあることで、ある意味の未来への逃げ道を用意することにもなるとも、同時に思っている。

わたしは職業としてコーチという名前を使っているけれど、こういうことを表現する人でありたいと思っていて、何をしているかわからない人になりたいと思っているだろうなとも思っている。

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坂口佳世|ぐっち
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