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コーチング試験に2回も落ちてやっとCPCC®取りました

このnoteは、多くの人が1回で合格する試験に、2回も不合格となり、地獄を味わい3度目にやっとコーチングのプロ試験に合格した時の話です。自己評価がズタズタになり、もう逃げ出してしまおうと何度も思ったけど、悔しさとわずかなプライドでなんとか合格した紆余曲折話です。


2019年から始まった私のCTIコーアクティブコーチングの学びの旅は、1年半かけてようやくCTI認定CPCC®(Certified Professional Co-Active Coach)取得しました。


もう無理だ!やめたい逃げたい人に届くといいな

私はCPCC®という国家資格でもなんでもない、おそらくコーチングに携わる方じゃなければ絶対に知らないであろうコーチングの民間資格を3回目にして合格した。ほとんどの人が1回で合格する試験を2回も落ちて、もうやめよう、逃亡しようと思ったことも多々あった直近半年。恥ずかしくてカッコ悪くて、こんなに悩みますか?というぐらい落ち込んで浮上してを繰り返し、なんとか食らいついて取得した。コーチングの資格をとったよ、という私の話だけど、もし今何か一つに惚れ込んで、その道を極めたいと努力をして、もう無理だ!やめてやる!と思っている方に、あと一歩踏みとどまってチャレンジする一歩に向かってもらえると書いた甲斐があったというものだ。

コーチングの世界にいない人にはなんのこっちゃ?なCPCC®だけど、私にとってこの2年半、特に直近の半年は、ただの資格取得にとどまらず、今までの生き方の否定と肯定、創造と破壊だったと言っていいぐらい、ドラマチックな時間だった。

コーアクティブ®コーチングの願いは、

本質的な変化を呼び起こす
evoke transformation
※コーアクティブ®モデル参照

だという。だとしたら、私にとって1回目の不合格から3回目のチャレンジに至る道のりそのものが、本質的な変化を呼び起こすだったと言える。

ほんとにまぁそれぐらい、いろんなことがあった。ほぼ偶然のようなコーアクティブ®コーチングとの出会いから、先日のCPCC®合格という約2年半は、ただの勉強期間という次元を超えて、生き方そのものを強制的に考えさせられて内側から変革せざるを得なかった期間だったんだと言っても大袈裟ではないくらいだ。こんなに煽ってしまいたくなるほど、私の中で壮大すぎて、一度に全て語りきれないと思うけれど、今思うところを記してみたい。

はじまりは、なんとなく。直感的にひかれたから。

もともとコーチングに興味があったわけでもなく、システムコーチングを専門としている(ORSCC)夫に誘われて(口説かれて)、他にコーチング養成機関があることも知らず、コーチング=CTI一択で、2019年の3月になんとなく基礎コースに行った。

コーアクティブ®という初めて出会った概念に衝撃を受けるも、まだどこかよくわからず、面白そうな世界だけど、最後まで行き着くには時間も費用も相当かかりそうなので、大変そうな道のりだなというイメージだった。でも、心のどこかが惹かれているのは間違いなかった。

そんな迷いのなか、基礎コースの休憩明け。座席の近くでぼんやり一人立っていたら、当時のファカルティ(コースリーダー)が近づいて話しかけてくれた。「ぐっち、いいよー!コーチング向いているよ」と。なんとなく惹かれていたけど、向いてるかわかんないし、この先長いしな…と二の足を踏んでいた私を、彼女は思いっきりの笑顔で背中をバシッと叩いて、特大のイエスをくれたような、そんなインパクトだった。

結局、休憩合間の「なんか向いてるっぽい」を道標に、次に進み、途中、第二子を妊娠し、応用コースは全て妊婦の状態で通った。そして臨月ちょい前の2020年1月、大きいお腹を抱えながらなんとか応用コースを受講し終えた。

2020年4月。静かな病院で、帝王切開で次女を出産。その麻酔が切れるか切れないかのムニャムニャした状態で「上級資格取得コース受けよう…」と決めて、その4ヶ月後の2020年8月から上級コースが始まった。

このnoteを積極的に書き始めたのがちょうどその頃だ。コーチングやコーチについてちゃんと考え始め、コーチングのtipsのようなものを書き始めた。

上級コースを受けると、マイコーチをつけることになる。なんとなく…という軽い動機だから、それまでコーチをつけている筈もない。誰かにお願いしないといけない。いろんなコーチの顔がよぎったけど、やっぱりお願いしたいと思うコーチは、基礎コースの時に「ぐっち、コーチングむいてると思うよ」と声をかけてくれたあのファカルティだ。

彼女の一言がなかったら、私はきっとここにいない。上級コースまで受けたりしなかった。何か意味があると思う。

この直感を信じてお願いした。そのセッション初回に言われた一言がまた今でもずっと強烈に残っている。

上級コースから始まるこの1年は、ぐっちにとってすごく意味があるものになると思う。何かが新しく始まると思うし、きっと何かが変わると思う。
それも含めて楽しんでいこう!いろんな変化が起きるよ、きっと。

上級コースからストレートで当然合格する予定だった

産後4ヶ月ぐらいの次女を抱え、夫(と時々長女)の協力を得て、隔週日曜日90分の全体MTGに参加し、隔週の平日の夜90分のグループワーク、自分で見つけてきたクライアントに最低100時間コーチング…と、なかなかハードで時間のやりくりも課題も多かった。

私はそれらがあまり苦じゃなかった。ぶっちゃけ結構余裕だった。とっても楽しかった。育休中で日中の時間も割とあったし、次女はだっこかおんぶですぐ寝てくれた。夫の協力は必須だったけど、何よりこの道に誘った本人だし、リモートワークのおかげで在宅が多く、綱渡りながらもなんとか回せた。たくさんの宿題・課題も、私が夜型だったことと、次女があんまり夜泣きせず、一度寝れば数時間起きないタイプだったこと、夜の授乳も二人目ともなると寝ながら授乳するスキルも身につけていたので、肉体的にそれほど辛くなかった。

大変さ以上に、コーチングの学びが楽しかった。過去の色々なことが紐づいて納得感があったし、チームみんなとのセッションも楽しかった。本も面白かったから読めたし、もともと書くことが苦手じゃないので、課題についても、それらしきことがどんどんアウトプットできた。そう。それらしきことがどんどんと。

改めて振り返ると、「思ったことをそれらしく言葉にすることも苦手じゃなかった」ことが、後々私を合格できずにさせて、自分の内側に目を向けざるを得ないことになった原因のひとつだった気がする。

2度も落ちたくせに、振り返ると上級コースの私は、ちょっと優等生だった気がする。元来、真面目な性格なので、課題は期限3日前ぐらいに提出した。他のメンバーとの日程調整も、時間がある私がするんだ!と積極的にやった。グループワークの時も、コースリーダーが求めている反応がなんとなく読めて、

「こう答えたらスムーズかな?」

と、推測される答えを口にすることができたし、それが間違っていたとしても、「みんなの議論の起爆剤になれたかな」とポジティブに捉えようとしていた。

さらに、コーチングそのものの学びも、本を読んだり、デモコーチングの音源を文字起こしまでして、しっかり聴いて理解していたつもりだったので、

なんとなくこういうことかな?
落とし所はこの辺かな?
きっとこういう流れかな?

というのが頭に浮かんくる。なんとなくそれっぽくできている気がしていた。

そんなこんなで、それっぽくできたんです。なんとなく求めていることを理解したつもりで、それらしく振る舞うことができた。だからコース途中のさまざまな課題でもそこそこそれらしい回答ができて、“優等生”的な私を周りに見せていた、見せようとしていた気がする。あくまでも今振り返ると。

当時はそれはそれは一生懸命だったので、そんな風にしているつもりはなく、一生懸命頑張った。でもどこかで、「ぐっち、小さい子がいるのに、すごい頑張っているよね!」と言われるたびに、ちょっと違和感があって、「うーん。でもちょっとモラトリアムな感じもするのよね」と心のどっかで思っていた。あくまでも今振り返れば。

こんなスタンスだから、コーチングそのものも、

きっとこの人はこういうことを悩んでいるんじゃないかな?
こういうことを意図しているんじゃないかな?
こういう言葉を求めているんじゃないかな?
こういう気づきを得られると役に立つんじゃないかな?

どこかこういう理解でいた気がする。

そういう関わりが悪いと言いたいわけじゃない。でも、振り返って以前のセッションの録音を聞き直すと、クライアントの話を「聴いていない」。全部私の中の解釈があったり、このスキルを発動したら気付きを得てもらえるんじゃないかな?と無意識で思っていたことがよくわかる。

こういう関わり方の源はなんだったんだろう…、と今振り返って思うことは、

綺麗に、かっこよくセッションしたい
“いいコーチングを受けた”と思ってもらいたい
気づきをたくさん得てほしい
すごいコーチだと思われたい
賢い人・優秀な人だと思われたい

そうやって、“自分の不出来さを隠してカッコよく見せたい願望”があったんだと思う。でもそんな気持ちがあるなんて気づかず、しっかり学んで頭にいっぱいコーアクティブコーチングを詰め込んで、まあまあよくできたと思った1回目の試験は、あっけなく不合格だった。

スイスイパスすると思った1回目の試験はまさかの不合格

正確な数字はわからないけど、感覚で60〜70%ぐらいの人が1回で合格していると思う試験に1回目落ちた。それはそれはとんでもないショックだった。上記のnoteを書いたのは、不合格通知がきて3時間後。その後の気持ちはあまりどこにも記していない。恥ずかしくて、不甲斐なくて、みっともなくて、書けなかった。

あんなに“コーチングができている人”な気がしていたのに、まさか不合格だなんて。

こう書くと、今までの人生で初めて挫折しました!みたいな感じに聞こえるかもしれないけど、当たり前ながらそんなことない。当然たくさんできなかったことや、うまくいかなかったことはある。だけど、あれだけ落ち込んだのは、今まであんなに真剣に挑戦したことがなかったからだと思う。私なりにものすごく「頑張って」「ちゃんと勉強して」「いい形を作って」取り組んだんだと思う。今までこれほど真剣に挑戦したり学んだことがなかったんだろうな、とも言える。

1回目の試験で落ちた時、一番最初に頭をよぎったことは、「私なにか舐めてたな」ってこと。もちろんちっとも舐めてたつもりはなくて、真剣に臨んでいたんだけど、心のどっかで「ちゃんとできている私」を飼っていた気がする。

試験に落ちると再試験に向けて、試験のコーチングセッションを聞き直して、その試験に立ち会ったコーチにフィードバックをもらう。これが非常に辛い。自分ができていないところを見つめ、改善点を指摘される。これほど効果的な学び方はないんだけど、傷口によく効く強い薬を塗りつけるような感じ。よく効くけど、ダイレクトに辛い。

すっかり合格するスキルを持っていたつもりだった自分のコーチングを改めて聞き直すと、「何これ?」ともう続きを聞けなくなるほど、「認識している自分のコーチング」じゃなかった。これはなんだろう。この違和感はなんだろう。とずっと自分に問い続け、いろんな角度のフィードバックとコーチングを受けて自分自身の内面を見つめた結果、一つ生まれた気づきがあった。

試験の相手を純粋なクライアントではなく、私よりも偉い人で試験官なんだから、ちゃんといいコーチングしないと。いいコーチだと思われないと。
ちゃんとしないと!!

そんなことを考えてながらセッションしていたことに気づいた。この気づきは強烈だった。しかもそれは“試験の時だけ現れる考え方・姿勢”ではなくて、きっといつもこうだったんだよ、って言われたようだった。試験の時だけ、ちゃんとしないと!という思考になったわけじゃなくて、今までも相手を値踏みしていて、相手によって踏み込める度合いが変わっていた。

まさかこんな自分がいたなんて。もっと私はフラットで、思いやりがあって、人を値踏みしたりするようなことのない、良い人だと思っていたのに、まさかこんな嫌な人間だったなんて…

もちろんこんなことを誰にも言われていない。不合格の理由もそんなことじゃない。でも、「不合格だった」という事実が、勝手にいろんな声や気づきが変換されて、いろんな人から、おまえそういうふざけたやつだよ!今頃気づいたの?全然イイ奴なんかじゃなくて、値踏みしている嫌なやつだから!とすれ違う人みんなに言われているような、そんな感覚だった。

もう被害妄想レベルだけど、一度そうなるとあらゆる事象がそう告げてくる。全然関係ないちょっとした出来事も「お前、まじで性格悪いからな!自覚しろよ!」と言われているように感じたり、「え、今気づいたの?ずっとそう思ってたけど、言わないであげたんだよ」みたいに言われているような気がしたり。

ただコーチング試験に落ちただけなのに、全人格を否定されて、ダメな奴だ!って言われているような気がする。そんな暗黒時間が1ヶ月ほど続いた。歩いても涙が出てくる。本を読んでも泣けてくる。何かわからないけど、何かが悪い気がして泣けてくる。こんな経験生まれて初めてだった。

そんな状態だから、ちょっとした言葉も引き金になる。コーチングと全く別の仕事をしていた時、お取引先のおじさまが笑顔で、「あなたのために」と伝えてくれたことをきっとずっと忘れない。

「君と話していて驚いたんだけどさ、いつも誰かと誰かを比較した喋り方をするんだね。上と下、どっちが優れていて、どっちが劣っているという視点をこんなに持っている人に初めて出会ったよ。今までどんなふうに生きてきたの?」

私をディスっているわけじゃない。純粋にそう思ったんだと思う。でも、ギリギリの気持ちで立っていた私には、その素直な感想は結構痛かった。

誰が私より上か下か、か…
この人には気を遣うべきで、この人はそうでもないからこのぐらい大丈夫かな。この人は多分何も分かっていないから、私が教えてあげないといけないな、この人はきっと私よりたくさん知識があるだろうから、私が無知で馬鹿だってバレないようにしないといけないな…
あぁ、そんなふうに思っている私、確かにいるかもしれないな…

今振り返ると、本質的な変化に向けた大きなきっかけだった。その時も貴重な気づきをありがとうと感謝したし、今でも図星ドキュンだなぁとしみじみするけど、弱った当時は劇薬だった。

ボロカスな私を支えてくれた人の存在

こんな“勝手に自己嫌悪時代”を支えてくれて、遠くに逃げ出さずに済んだのは、間違いなくマイコーチと、共に学ぶコーチ仲間と家族の存在だった。これほど人に甘えたこともなかったし、誰かの前で号泣したこともなかった。けちょんけちょんに落ち込んで何するのもぎこちなくなっていた私を、もう一度立ち向かえるように、何度も何度も練習相手をしてくださった方や、私のクソみたいな鬱々話をじっと聞いてくれた方、

『「全人格否定されている気がする」なんて、勘違いだよ!それは違うよ!そんなことないよ!あんたは最高だよ!大好きだよ!』と、

とびきりの愛の言葉をかけ続けてくれたのは、コーチであり仲間だった。ほんとにずっと付き合ってくれた。それがなければ、多分私はあらゆることから逃げて、距離を置いたと思う。それぐらいセルフけちょんけちょんだった。

そんな方々のおかげで、少しずつ傷が癒えて、具体的なコーチングスキルに関する技のようなものを改めて練習・習得して、たくさんの練習をした。たくさんクライアントさんとのリアルセッションして、仲間を集っての練習もした。フィードバックも真摯に受け止めて混乱しつつも、スキルを磨いた。そしてボロカスと治癒を繰り返し、さらに勉強を深め、かなり理論を身につけ、再試験に臨んだ。ガッチガチに学んで、コーチングにおけるこの部分はこういうスキル発動!こういう時はこう対応、こうする。

もうそんなガッチガチで臨んだ2回目の試験は、また落ちた。

2回目の試験でまた落ちる

ちょうどその頃、私の育児環境は最悪だった。2回目の試験直前に、一家全員ノロウイルスに感染。ようやく治った頃に試験を受け、結果が出るまでの間に、当時猛威を奮いまくっていたRSウイルスに長女次女両方感染し、自宅療養。

忘れもしない、不合格通知を受け取ったのは、ほぼ完治した長女がYoutubeに釘付けで、RS真っ只中39.7の発熱中の次女をおんぶして、仕事をすべてリスケしまくって、連続看病1週間目の最悪の気持ちの平日だった。

流石に二度目は受かるだろうと思っていた。まさかまた落ちるなんて…と信じられない気持ちで泣き出したかったけど、背中に4日連続で高熱の次女がいて、こっちのほうが心配で、深く落ち込むこともできず。むしろ、「あーはいはい、またですね。はい、わかりました。はい、もう一度受けますよ!」ぐらいのやけっぱちだった。なんで私ばっかりこんな目に!完全に八つ当たりで、それぐらい腐っていた。

その後も家庭の不調は続き、なんとかRSが治ったら、今度は謎の血便。さらに長女の腕が脱臼すること2回。RS完治後2週間、また次女が高熱。忘れもしない東京オリンピック開会式の日、もうすぐブルーインパルス飛ぶのかなーと思いながら、発熱している次女の横でゴロンと顔を眺めていたら、突然謎の痙攣。このまま次女死ぬの?という恐怖に駆られ、抱き抱えて誰か助けて!と家の外に出て、通りかかった親切な薬剤師さんに救急車を呼んでもらい、コロナで病院決まらず、オリンピックで道が渋滞という踏んだり蹴ったりな中、順天堂病院に運ばれて…熱性痙攣ですと診断。

もうそんな有様だったもんで、落ち込んだり、自己嫌悪に陥る暇もなく、子どもたちよ、早く元気になってくれ!日常を取り戻させてくれ!!と願っていた。

こんな日々がかれこれ連続4ヶ月…。1発合格のつもりが、かれこれズルズル4ヶ月。実は、毎日どこか落ち着かず苛々していた。いつまでも合格できない自分に苛々。何かを超えられない自分に不甲斐なさ。前に進んでいく仲間たちに羨望の眼差しと少しの嫉妬。いつまでもできない自分に自己否定… どこかそんな気持ちがあった。

常にイラついていたけど、それを極力表に出さないようにしていたし、そういうダメな自分を隠したくて、誤魔化したくて、たくさん仕事を作ったり、コーチングと関係ないことを始めたりもした。忙しくしていたかった。

言葉と体が合ってない感じ、何かから逃げている感じ、コーチングが辛くなり、向き合わなくなっている感じ。ここ直しましょうねと言われたところをだけ、ハイハイそうですね、そうやれば、さすがに3回目は合格させてくれるんでしょうね!ぐらいのやさぐれ感。

そういうのがぜーんぶ染み出していたんでしょう。

8月10日の私の誕生日の直前、信頼する仲間と夫の3人が、偶然にも同時期に、頭の上にダイナマイトを落としてきた。

私のことが大好きな3人が(笑)、そんなヒッチャカメッチャカやさぐれている私をどこかで感じて、私が変化できる人だと信じて、どでかいダイナマイトを落としてきた。やさぐれた心をコテンパンにぶっ壊してきた。ドデカすぎて、4日ぐらい落ち込んで、8月10日の誕生日の夜は、眠る子供の足をさすり、3時間ぐらい泣いた。こんなに最悪な誕生日の朝はなかった。

ドッカーンとダイナマイトを落とされて、今まで築いたものが全部ぶっ壊れた感覚だった。

この「発信しない10日間」は、こんな気持ちで過ごした10日間だった。発信することが大好きだった私が、外に出すエネルギーを止めて、内側にぐーっと向けるように過ごしたら、不思議と楽になってきた。スーッと今まであんなに辛かったのに、なんか楽になってきた。

自分でこしらえた傷に、保湿クリームを優しく塗ってあげている感覚。
誰かに傷を晒して、傷口を見てもらって同情されている感覚から、夫と娘2人が優しくさすってくれている感覚。とても優しい気持ちで満たされたようだった。

それまで一生懸命、肩に力を入れてガチガチに築き上げたブロックが、ぼろぼろぼろぼろ落ちていくような、そんな不思議な感覚だった。

何かが壊れたあたりから私は楽になって楽しくなってきた

その辺から私のコーチングは明らかに変わった。それまで「もう飽きた」「やめたい」「辛い」と思っていたコーチングが、楽になって楽しくなってきた。

「聴くこと」「ただただ聴くこと」「傾聴すること」「好奇心を持って聴くこと」という言葉の意味が本当にわかってきた気がした。明らかにコーチングセッションをしていて、クライアントとのダンスが違う。なんでかはよくわからなかたけど、何時間でも聴いていられるし、一緒に踊っているような感覚が湧いてきた。

決定打は破壊王になったこと

こんな山あり谷ありを経て、私の気持ちとコーチングはとても変わったんだけど、さらに大きく2つ、決定的にここで変わったと言える出来事がある。

8月末。私と同じように何回も試験で苦労を分かち合ったコーチ仲間と練習のセッションをした。以前のような気負いや解釈も色々抜けて、かなり変わったなと自覚していた頃のセッションだ。

決して悪いセッションじゃなかったと思う。でも、クライアント役の彼女の顔はあまり楽しそうではない。

「全然悪くなかったよ。しっかり基礎を押さえていて、スキルは自然に出てくるし、指針もしっかり掴めていて、十分だと思う。試験大丈夫だと思うよ。なんだけどね、うん…。
うん。でもよかったと思うよ」

と。なになに?言ってよ。なんでもいいから思ったこと言ってよ!

「試験直前にこんなこと言っていいかわからないんだけど、ぐっちなら受け止められると信じて、言ってみるね。
基礎応用の頃から、ぐっちのコーチング私すごく好きなのね。あったかくて、愛情があって、信じてくれて、大丈夫!って言ってくれる感じがして。でも、今日のセッション、なんかちょっと寂しい感じがしたの。ニュアンスなんだけどね。

ねえ、無人島に3つだけ道具を持っていっていい、っていう話あるじゃない?あれでいうと、ぐっちは今度の試験に3つ持っていくとしたら何をもっていく?」

と聞かれて、うーんと考えて出てきた3つが

「スキル」「指針」「楽しむ」かな・・・

言葉にしてみて自分でびっくりした。なんだこれは。

「そっか。じゃあ試験じゃない日常のコーチングだったら、何を持ってる?」

「うーん。応援と愛と聴くかな?」と。

「そうだよね!私が好きなぐっちのコーチングそれだもん。」

あぁ、なんてこった!私いつの間に、こんなつまらんことを思ってたんだ。なんて恥ずかしい。

「ねえ、もう一回本気のセッションさせて。ガチなテーマで。武装したスキルどっかに捨ててくる!というか、もうしっかり染み込んでいると信じて、応援と愛と聴くを全開でやっていい?」

そう言って、もう一度やったコーチングは、それまでとまるで違った。何が違うかは具体的なスキルを超えて、相手の目の輝きと私の気持ちがまるで違った。

ああ、そうか。本当にクライアントのことを応援と愛情で包み込んで聴いたら、拡大質問はこれを使おうとかここで認知しようとか、反映を挟んで、比喩を使うとか思ったり考えなくても、自然と何かが出てくるんだ。そしてクライアントが話してくれることを全力で聴いて、ふと沸いた聴いてみたいことを投げ掛ければ、自然とクライアントが自分で答えを見つけて、探して言葉にして気づきを生むんだ。この感じが、クライアントそのものの可能性を信じることなんだ。何度も本で読んで、フィードバックされたことをようやく、身体中で理解した。そんな経験だった。

さらに、もう一つ。
9月頭、CTIの基礎コースのアシスタントに入った時、とある演習で、私の中にチラチラ見える元々あるけどもっと発揮したいところはどんなことだ?という問いから、その時ふと湧き出たことが「わたし、破壊王になりたい!」だった。

破壊王。今まで色々作り上げたものをぶち壊したくなった。おもいきり、ゴジラみたいにガシャガシャと壊して壊して、壊して壊したくなった。いま私に必要なことは壊すことなんじゃないか?と。その後、破壊王全開な気持ちでコーチングをやってみたら。ものすごく何かが壊れた。

あ、壊れた。この感覚だ。自由で、思いっきりで、やんちゃで、おてんばで、楽しいことが大好きで、相手がとにかく好きになる、この感じが本来の私らしさだ。

そんなシンプルだけど、とても深くて強いことが体感として理解したのは、3回目の試験の4日前だった。

ついに三度目の試験は、初めて楽しいと思った

そんな変化をおもいっきり体に染み込ませて臨んだ再再試験は今まで味わったことがない楽しさだった。試験だからもちろん緊張するけれど、なにぶん3回目。流れも完全に把握した勝手知ったる試験だ。(笑)

ほとんどの人が1回しか経験しないあの独特な試験の感じを私は既に2回も味わっている。その感覚さえもスペシャルな感じがして、それはそれは楽しいコーチングセッションだった。初めて楽しい試験だった。終わった後、高いところに無性に行きたくなって、雨がポツポツ降る微妙な天気の日に、遠くが雲で何も見えない東京タワーに登ってきた。

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全然イイ景色じゃないけど、すごく気持ちよくて清々しかった。この気持ちを知るための悪魔の5ヶ月だったのならば、かかった追加費用も苦しい期間も悪くないかなと思うくらい。

何よりたくさんの人に支えてもらった感謝の気持ちを、言葉としての意味じゃなくて、体感で「人に感謝する」を知ることができた。どん底まで落ちたから、さらに自分を好きになってきたし、人の話を聴くのが楽しい。変化を見守ること、心からエールを送ることが幸せだと感じる。コーチング以外のところでも聴くのが楽しい。何より私の幅が何か変わった。ちゃんとしないといけない、素敵な人だと思われたいという気負いがなくなって、本来持っているシチャカチャさをさらけ出せるようになった感じがある。

この半年の私の変化を写真で表すなら、こんなかんじかもしれない。

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ずいぶん幅が広がったな。

ほとんどの人が1回で取得する資格を3回かかった私が言えること

CPCC®という資格は、国家資格じゃない。これを持っているからコーチングがプロってわけじゃ全然ないし、ただ持っているだけのものでもある。でも私はこの資格が取れてとても嬉しい。

1回目でぬるっと取得していたら、このnote、1万字の旅路はなく、これほどたくさんの人に助けてもらって愛情をかけもらって、待っていてもらう感謝を知らなかったし経験できなかった。(それは結果論で、そりゃできれば1発合格が一番いいのは違いない!)

こんな思いをしてとった資格は、資格以上の価値が私にある。ものすごくコーチングが好きだと言えるし、奥深いなーと思っているし、もっとこの道を進みたいと心から思える。やっと一つコーチングをやってます。コーチやってますと、胸を張って言えるようになった。

そんなこんなで、長くなりましたが、七転八倒してようやくCPCC®取りました。

“今あがいている” “必死に今を生きている”と思う方へ

他の人が見たら大したことはないかもしれないけど、私は必死に何かと戦って、あがいて、もがいていた。もしこの期間を一人っきりでやれと言われたら、何度も言う通り間違いなく逃げ出していた。そばにいたのは、家族であり、仲間であり、私の可能性を絶対に信じてホールドしてくれたコーチの存在だった。

わたしは、コーチだ。もし、私がここに書いたような期間を今過ごしている方がいて、本気で一緒に走って欲しい方がいたら、私を呼んでくれ。

他の誰かにとっては、大したことがないかもしれないけど、あなたにとって1万字で語りたい出来事は、生きていれば何度か必ずある。それを一人で進むか、絶対に信じて応援してくれる誰かと進むかで、辿り着く未来が変わる。その伴走者をコーチと呼び、私は必死であがいて、なんとか海と山を越えたコーチだ。

もし、そんな人がいたら、どうぞ連絡くださいな。真剣に、でも面白く、力強く隣にいます。

最後に

トータル12000字の私が体験した、“CPCC®取得の話”を最後まで読んでくださって本当にありがとうございます。たくさんの時間をかけて読んでくださったあなたの心に、私の経験が何かの種になると、これほど嬉しいことはありません。そしてきっと、この期間、私に関わって助けて支えてくださった方々が読んでくださったと思います。一人づつにお礼を言いたい。心から感謝しています。

最後の最後まで、読んでくださってありがとうございました!


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坂口佳世|ぐっち
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