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ロジカルシンキングであれ!という「呪い」は自分を知ることで溶かすことができるのだ

先日、初めて継続的にコーチングを受けたコーチと話す機会があって、当時の私の様子を聞いてびっくりした。どうやら当時の私の口癖は「そんなことやって意味ありますか?」「それ知って何になりますか?」「課題解決に繋がりませんよね?」だったらしい。


そういえば、あの頃はよく会話を中断されて、「ぐっちは今、なにを感じているの?」とか「どんなことを大切にしているの?」とか訊かれた記憶がある。そしてその度に、その質問の意味がわからず「え?どういうことですか?何を聞いているんですか?」って質問返しをしていた。

これはたったの4年前のこと。あの頃の私は、感情を言葉にすることとか、自分の体の声に耳を傾けることに全く意味を見出せなかった。

私の価値基準は一貫して「それは論理的か?」「課題解決に役立つか?」で、それ以外のものは価値がないと切り捨ててた。だからこそ、今、似たような考えを持つクライアントさんの気持ちが痛いほどわかる。

「ロジカルシンキングこそ全て」の呪縛

あの頃の私は、自分に決定的に足りないのは論理的に説明できる力ロジカルな課題解決力だと信じてた。一方で、感覚に頼った考え方や直感的な判断は、愚か者のすることだと思い込んでた。「ロジックに基づいて答えを出すべきだ。それができない自分はダメ人間だ」って、本気で思ってた。

でも、本当は…直感や感覚に頼りたかったのだ。好きか嫌いかで決めたかった。それなのに、「そんな考え方ではダメだ」って自分を責めてた。だって説明できないから。

社会人になった時、何度も「お前のそういう支離滅裂なところがダメなんだ!」と言われたし、「論理性に欠けるからやり直し!」と夜遅くまで作った資料を破られ泣き捨てられ、床に落ちた資料を這いつくばってかき集めた記憶が強いのだ。

あの数年で「私は論理性に欠ける頭の悪いダメで使えないやつなんだ」と、そういう信念を自分に刷り込んだ。もはや呪いをかけた。徹底的にたった数年で植え付けた信念なのだ。

そこからは、苦手なロジカルシンキングを身につけようと必死で努力して、できない自分に失望して泣きながら、それでも克服しようと頑張り続けてた。その結果、心身ともにズタボロになってた。

でもその時の私は、「辛い」って思うことさえ許せなかった。だって、私の能力が足りないだけだから。「エネルギーとパワーと愛嬌で前に進めるのは、私がバカだから。ロジカルさが足りない欠けた部分を補うためにパワーで前に進めるしか能のないバカ」って、本気でそう思ってた。ずっとここがコンプレックスで、いまもこれを書きながら、傷が痛んで涙が込み上げてくる。

当たり前の常識は無自覚な呪いだった

今振り返ると、あの頃の私は「ロジカルシンキングの呪い」にかかってたと言える。長い時間をかけてようやく、「そうでしかない私の常識」「知らぬ間にかけられた呪い」と認識できるようになってきた。そして諦めた。わたしの魅力は、ロジカルシンキングでなくて良いと。

時には、少しずつその束縛から解放される感覚も味わってる。でも、完全に自由になれたわけじゃない。気づけばまた、長い長いうごく歩道に乗るみたいに、自動的にその呪いに引き戻され、知らぬ間に「ロジカルに分析力がない私はダメカス人間」という場所に連れて行かれるのだ。

自分を認める旅の途中

今ようやく、たくさんの人の力を借りて、「ロジカルに論理的に分析して話す力はないけれど、直感と馬力でブルドーザーのように前進させる力があって、感情や感覚は素晴らしいパワーなのだ。誰かの役にたてる私の素晴らしい魅力なのだ」と少しずつ認められるようになってきた。「ロジカルシンキング」に囚われることなく、感覚的に選びたい、直感的に感じたいという自分を許せる瞬間が増えてきた。

この言葉を書くだけで、自分で言葉にするだけで、涙が出てくる。赦しの涙だ。もう何度も流しているのに、まだじんわりと出てくる。それほど私は深く深く傷ついたのだ。またひとつその傷ついた自分を認められて赦せた。

子どもの時、誰かに言われたかった言葉は、大人のわたしがわたしに言える

同じようにロジカルシンキングの呪縛に苦しんでる人がいたら伝えたい。感情や感覚を大切にしてもいいんだよ、と。課題解決や論理的な正しさだけが全てじゃないんだよと。

知らぬ間にかかっていた呪いに気づき、「ロジカルシンキングができない私はバカではなく、直感やエネルギーで前に進むという特別な力を持った魅力的な人間なんだ」と、自分を赦し、少しずつ好きになれるようになってきた。

10歳、20歳、30歳に傷ついた自分は、40歳の自分が癒してあげる。「あなたはそのままで価値があるんだよ」と当時言われたかったあの頃の私は、今の私が抱きしめてあげる。

自己探究とは、自分を愛する力を鍛えること

「自分を知る」ことは、自分を愛する力を鍛える筋トレのようなものだ。

ただ、このトレーニングを最初から一人でやるのはとても辛い。痛みとしんどさもある。そして、自分では「かけられた呪い」に気づくことが難しい。もし、あなたが「自分にかけた呪い」に囚われているのなら、少しずつでもいいから、その呪いに気づき、解きほぐすトレーニングを始めてみませんか?といざないたい。

たとえ小さな一歩でも、呪いを溶かすことを願い続ければ、必ず道は開ける。私はそのことを信じている。そしてこのプロセスを、「自己受容し自己主導する」というのだろう。

私を愛せるのは、私だけなのだ。


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坂口佳世|ぐっち
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