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「甘えん坊だった私がいた」記憶に触れたとき、涙があふれた理由

わたしは甘えん坊だった。

母に甘え、父に見守られ、姉に頼り、もう30年以上前のわたしは、家族の前で甘えん坊だった。という記憶がふわっと思い出されたのだ。

このnoteは、小学生ぐらいの私が、甘えん坊な自分で生きていたという記憶を、仲間との対話で思い出して、溢れてきた感情のプロセスを書いています。

幼き頃の記憶に触れて、成長にともなって、人との関わりの中で「子どものころにいた無邪気にそうだった私」を閉じ込めて、いろんなものを諦めていったプロセスに興味がある方に届きますように。

4人家族の次女で喘息の発作を起こしながら甘えん坊だった

とあるプログラムで私の幼少期の記憶を思い出した。

おばあちゃんの家で、ちょっと葉の広い雑草を摘んで、それを靴で何度も踏んで、サラサラの砂をかけて揉み込んで「漬け物」として何種類も作って器に入れておままごとしていた5歳ぐらいのわたし。

ただただ夢中に、姉と6歳上のいとこと一緒に、ひたすら雑草を踏みつけて"漬け物"を作っていた。

その記憶がブワッと出てきた時、同時に家族のことを思い出して涙が止まらなくなっている。

親父ギャグを言って家族を笑わせようとする父。いつも家族の体調を心配して世話をしてる母。部屋をきっちり片付けてしっかり者の姉に囲まれて、好きなことにのめり込み、やりたくないことはやらずに、部屋を散らかしてもなんだかんだと母が片付けてくれる、そんな家族の中で猫のように気ままで、甘えん坊な子どものころの私。そんな当時の記憶が「漬物を作るシーン」と共に、を思い出されたのだ。

喘息で体が弱く、走るとすぐ発作が出るから無理をしない。学校には体調と相談しながら行けたら十分。呼吸が苦しくなって何もできなくなるから、親が背中をさすってくれて助けてくれる。

そんな子どもの頃の記憶がブワッと溢れてきた。

そう。すっかり忘れていたけど、次女としてめちゃくちゃ家族に甘えてきたのだった。

学校ではしっかり者のかよちゃんで、がんばりやさんのかよちゃんだったけど、家のなかでは、だらしなくて勝手で好き勝手で、好きなことしかやらない子。

台風のような子だねと言われながらも笑って許してくれる母と、あれやこれやと世話を焼こうとする姉と、少し離れたところから何も言わずみててくれている父に囲まれていた記憶が、芋づる式に溢れてきた。

なんて幸せな幼少期だったんだと、気づいてしまい涙が止まらない。

「私は甘えん坊だった」という気づきに涙が溢れる

この「私は甘えん坊だった」という気づきに、私が一番驚いている。そういえばそうだったんだ。家の中での私は、甘えん坊の自分勝手な子どもだった。

改めて思い出すと確かに間違いなくそうなのだけど、その感覚は、ずっと意識の底の方にあって、頭に近いところにあるのは「ちゃんとしている、しっかりもの、きちんとしている」という私だ。

着古したけど肌馴染みが良くて気に入っているTシャツを着た「甘えん坊なわたし」が外で「しっかり者でがんばりやさんな私」というスーツを着て、家の中に帰ってくるように、いつのまにか「しっかりして頑張ってみんなを前に進める私」という一丁前にきまったスーツをいつも着て椅子に座っているような、そんな感覚。

そんな自分の思考プロセスに気がついてしまった。

しっかり者でちゃんとして期日を守るわたしを学習して取得した

誰かを引っ張ったり、こっちだよと前に進めたり、強くて、がんばりやさんで体力があって、私が前に進めるんだ!と強烈な力で前に進める自分。

すっかりこの私が坂口佳世という器の操縦桿をにぎっている。「甘えん坊のかよちゃん」が自分の認知として溢れ出てきたいま、「頑張りやさんでしっかりもの」は、武装して適合してライフハックのように身につけた「生きる知恵」だったような気がしている。

これは痛みだ、激痛だ。がんばらないとみんなに必要だと思われない。役に立たないと存在意義がない。成果を出すことで認められる。だから頑張らないと。足りないし、そのままでは価値がないと思うから、一生懸命強くあろうとして、もっと頑張るし、人の目を気にして無自覚に褒められたり、すごいね!と言われるためにやる。

こんな行動を無自覚にしていたのだ。

おそらく「甘えん坊でいい加減な私」を外でも家のように緩んでやってしまったら、怒られたとか誰かを失望させたというのがあったのだと思う。もともとの「甘えん坊で誰かを頼る私」を外で使ったことで、きっと「痛い!」という体験をしてもう2度とそれはしない!と学んだんだと思う。

何も知らずに、熱々のフライパンを直接触ってしまって、大火傷して、もう2度とフライパンに触らないぞ!と学ぶように、「甘えん坊な自分を外で出してはいけない。しっかり者でいないといけないんだ」っと学習したんじゃないか?と思う。

もともとあった「甘えん坊」を自分を封じてきたのかもしれない

「父や母や姉に甘えて甘えて、何をやっても許してくれる愛情で包んでくれる家族のもとで甘えん坊な次女として育ったのだ」という記憶が溢れてきた。

すると同時に、成長するにあたって「人に甘えたら迷惑をかけるんだ、誰かを傷つけるだ」という痛みになり、「甘えてばっかりじゃ物事が前に進まないから私がしっかりしないといけないんだ!」というエネルギーに変わった。

さらに歳を重ね、そういう人に憧れを持ち、もともと持っていた「ちゃんとやりたい、自分がやりたいように好きにやりたい」という思いといつの間にか結びつき、「私ががんばって引っ張っていかないといけないんだ!」という責任感に変わったような気がする。

甘えん坊にならないといけない、というトラップ

こんなことに気づいた、というと「そうだ!あたしは甘えん坊にならないけないんだ!」と妙に誰かに甘えたり、やりたくないことはやりません!と放棄し始めるような気もしてしまうが、そうじゃない。ここは気をつけたいトラップだ。

いつもの私なら、反省を活かして改善する。そしてそうしなければいけないのだ!とがんばりはじめる。それではちっとも甘えん坊になっていない。しっかり者で甘えん坊にならなければいけないのだ!と言っている。本末転倒。

いま私に起きているのは、「小学校で嫌なことがあったら大泣きしてお母さんに抱っこされたことがあったね」という記憶を思い出し、「おねいちゃんのが欲しい!」とわがままを言って、姉にしぶしぶ交換させていたことを思い出し、父に「ねえこれ買って〜」と姉は絶対にできないようなストレートなおねだりをして満足げだった子どもの頃が私にあったんだ、という喜びに胸がをいっぱいにしているということだ。

そして同時に、そんな私は大人になるにあたって、いろんな人と関わり、別の方法を学び、「他者に甘える」ということを無自覚に葬り去っていたことに気づいて、自分の体を抱きしめたくなっている。

ただただ、そうだったんだね、私は誰かに甘えることを諦めてきたんだね、と抱きしめたくなっている。

ただそれだけだ。それだけでよいのだ。

自分のはじまりに気づくと、自然としてみたくなる行動がある

ここまで書いて、ちょっと今夜実家に電話してみようと思っている私がいる。自分の娘のわがままを思い切りそうかそうかと笑って聴いてみようと思ったりしている。家族となって10年以上たつ夫に、41歳の2児の母の私ができる「甘えん坊」というやつをやってみたら、家族にどんなことが起こるだろう・・・とちょっと興味が湧いている。

そして私自身がこんなに何もせずに、できずに、ただ猫のようにゴロゴロと、誰かのお膝の上で寝ることを想像すると涙が出てくることに驚いている。

あぁそういう人生を体験して幸せを感じるために生まれてきたのかな。と思わざるを得ないほど、強烈に今、足に力が抜ける感覚があって、鼻水が止まらない。

久しぶりにnoteを書きながら、こんなにティッシュの山ができた。そしてこれを書き上げたことで、この気持ちがまた一つ昇華した気がする。

最後まで読んでくれてありがとう。


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坂口佳世|ぐっち
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