オンライン葬儀
昨日、父が亡くなった。イギリス在住の私はコロナ禍という壁に阻まれ、父の死に目に立ちあうことも、父の葬儀に出席することも叶わなかった。私も娘たちも大好きだった父にずっと会いたいと思い続けていた。コロナ禍で帰国ができない日々が続く中、コロナ終焉をずっとずっと耐えて待っていた。
私が住むイギリスでは、海外への出国は違法。特別な理由がない限り出国できない。そして、日本はイギリスを入国拒否国に指定しており、現在のところ入国までにさまざまな要件をクリアしなければならない。規制が最大限に厳しい中、帰国の準備を淡々と進めてきたが、残念なことに間に合わなかった。
そんなこんなで、本日「オンライン通夜」に参加した。いとこがずっとライブ映像を映しておいてくれて、それをただイギリスのリビングルームで見ていた。
父が死んだなんて信じたくなかった。毎週日曜日にビデオトークするのが私たちの習慣になっていて、この前の日曜日も孫たちとおしゃべりしてニコニコしてたのだ。「早く日本に行きたい。それまでなんとか元気でいてね」というのが、私たちのお決まりの会話だ。耐えていれば、いつかは会えると思って頑張ってきたから、もう会えないということが、どうしても受け入れられずにいた。が、オンラインであっても葬儀に参加することで「死を受け入れなさい」と言われた気がした。葬儀って、きっとそういうものなのだ。
父は71歳。父の友人、親戚も70代や80代。式の後、遠方から来てくれた親戚たちと久々に話した。私は父の葬儀を見てて泣けて泣けてしょうがなかったが、人生の先輩達は「死」への免疫がついているのか、私を励まそうとしてくれてたのか、やたらと明るくゲラゲラ笑ってて、その場に居られなかったことが、ことさらに寂しかった。その場にいれたら、みんなそれぞれの父との思い出話を笑って話したりして、もっといろんなことが消化できたのかもしれない。今後、消化不良のまま、このもやもやとした虚しさ、親不孝してる罪悪感がずっと続くのだろうか。
コロナ禍のおかげで、オンライン飲み会、オンライン授業、オンライン会議、オンライン卒業式・入学式といろいろ体験してきたが、ついにオンライン葬儀を体験する羽目になるとは予想だにしていなかった。棺桶に横たわる父を画面上で見ることになるなんて、虚しすぎて、いくらでも泣けてくる。
ただ父は「葬式不要論者」で、そこまで「お葬式」という日本の風習に固執していたわけではない。お経も、お坊さんのありがたい風のお言葉も大嫌いで、「あのお坊さんの話は薄っぺらい」と批評したり、「自分の葬式はあげなくていい」とよく言っていたものだ。今日のお坊さんのお言葉も「つまらない」という父の言葉がどこからか聞こえてきたような気がするほど「つまらなかった」ので、なんだか笑えてきた。父が生きてたら「こんなつまらない葬式に、わざわざ来る必要はない」と言っていたかもしれない。
私や孫をいつでも無条件で愛してくれて、応援してくれていた父。長女なのに、葬儀に参加できなかった私の無礼だって笑って許してくれるだろう。
▼長女からおじいちゃんへの手紙
▲次女からおじいちゃんへの手紙