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四万十川ウルトラマラソン〜自分との闘い〜


【大会前日】

高知空港行きの飛行機が少し遅れた。エントリーの申込みが遅れ、前夜祭の時間も間違えていて参加できず悲しみに暮れながら、丸源で夜ご飯(ラーメン、チャーハン、餃子)を食べていると、二つ隣の席で明日の大会要綱を読み込んでいる人を発見!声をかけようか迷っているうちにその人は会計へ。急いでチャーハンをかき込んで、僕も会計をし、外に出るとその人はまだ駐車場にいた。勇気を出して声をかけると、予想通り明日のウルトラマラソンの参加者だった。Mさんは6度目の挑戦で、毎回完走している方だった。初参加の僕にたくさんアドバイスをくれた。最後にゼッケン番号をお互い伝え「また明日どこかで!」と別れた。前夜祭で10人くらい友達作ったろ!って思ってたので、知り合いが1人できて嬉しかった。よし!これで1人じゃないぞ!明日も頑張ろう!
予約してた民泊に着くと、予約客が増えてしまったとのことで離れに案内された。なんの不自由もなかったから別にいいやと思ってたけど、寝る前に枕元でクソでかいクモを見つけてしまってちょっと萎えたw
22:30就寝。緊張はしてなかったけど、ワクワクなのか、街灯が明るかったからなのか、眠りが浅かった。

【スタート前】

3:10起床。正直あまり寝た気はしなかった。朝ごはんも食べなかった。(本当は車でスタート地に向かう予定だったから途中コンビニ寄ろうと思ってたけど、スタート会場までのシャトルバスあるとのことでそっちにしたから食べれなかった)まだ真っ暗の中、廃校へと続く松明がメラメラしてた。校庭だけが明るくて、ドンチャンドンチャン太鼓の音も聞こえてきてお祭り騒ぎ。ワクワクが大きくなった。右膝のケガは完治してなかったからロキソニンを1錠飲んだ。テーピングですね毛が痛かった。まあレースが始まれば気にならなくなるだろうと思い、ほっといた。緊張している人、喋りながら笑っている人、ストレッチしてる人、いろんな人がいた。自分はストレッチしながら「スタートってどんな雰囲気なんだろう?」ってワクワクしてた。

【1〜10km】

5:30スタートの合図がなった。スタート地点はお祭り騒ぎ、手を伸ばせないくらい周りにたくさんの人がいて楽しいかった。沿道には「頑張れ~」って声援を送ってくれる市民の方がいた。こんな朝早くから応援してくれるんか!すげーな!!ってテンションが上がっていたけど、気分が高まって速くなりすぎないように注意しようと思った。どんどん抜かれるけどそんなに焦らず走れた。走り始めて5kmでお腹空いたぁ、、

【11〜20km】

11~15kmまでは,緩やかな登り坂。ペースも順調で、リハビリとロキソニンのおかげもあってか右膝の痛みもでず、リラックスした走りができた。マイペースで走っていると前方に見覚えのある姿とゼッケン番号が見えてきた。Mさんと会うことができた!そこからは少し話しながら走った。Mさんは6度目の挑戦で完走ペースをわかっていたから、このペースでも大丈夫なんだなと安心しながら走れた。途中で「歩幅も違うから先に行って」と促されて少し先をいった。
やっと軽食のあるエイドについた!と思ったらバナナだけ😂1/3カットのバナナを一個だけ食べた。もっと食べておけばよかった!!
16~21kmは急な登り坂。
ちょうど高尾山くらいの標高600mの登りで、そこをみんな走って登っていく。
そんな中「登りは絶対に歩いた方がいい」という加地さんの言葉を信じて、最初から歩くことにした。15kmだからみんな体力がまだまだある。だからほとんどの人が走って登っていくので、どんどん抜かれる。当然Mさんにも「大丈夫か?!」と声をかけられながら抜かれた。
最初は、これでいいんだ!おれは体力を温存するんだ!と思いながら歩いていたけど、18~19kmあたりになると「本当にこのままで大丈夫か?足切りのタイムになってしまうんじゃないか?」と不安と焦りが出てきた。実際13時間のペースランナーにはとっくに抜かれていて、足切りタイムギリギリのラインを走っていた、というより歩いていた。でもここで歩くという選択をして本当に良かった。ここを走ってしまっていたら完走できてなかったかもしれない。それくらいギリギリだった。

【21〜30km】

21km~26kmは急な下り坂。
スタート前の開会式でゲストランナーが「ここでスピードの出しすぎには十分注意してください!前腿がパンパンになって後半走れなくなります!」と言っていたのを思い出す。でも下り坂が得意な僕にとっては、スピードを落として走るのは勿体無い気がした。前腿を使っているという事は、ブレーキをかけて走っているということ。上半身が前傾しているということ。だったら背筋を使って上体を起こして走ればいいんじゃないかな?と思い、ぶっつけ本番でその姿勢で走ってみると、背面は疲れるも足は疲れなかった。重力に体を任せて、かなりスピードが出ていたから、止まる方が筋肉を使うと思い、エイドも止まらず駆け抜けた。そのスピードで走ったから、大袈裟でもなく200人くらい抜いた。途中でMさんも抜いた。スピードを出したせいで、右膝に痛みが出始めたが、ここでスピードを落としてしまうのは勿体無いと思い、そのまま走り続けた。26km地点で急な下り坂が終わったが、緩やかな下りが続いたのでそのままエネルギーを使わず重力に任せて走った。

【31〜40km】

35km地点までは緩やかな下りだったので、あまり疲れることはなかった。自分を信じて下り坂をスピード出して走って正解だった。山を越えると、そこからは平坦な道が続いたが、四万十川が見えてきた!めっちゃ綺麗でテンションが上がってメンタルも疲れも回復した☺️13時間のペースランナーも抜くことができて、1時間の貯金ができたなと思い少しホッとした同時に、ここまでペースアップしてやっと13時間のボーダーか…とも思い、油断はできないなと気を引き締めた。

【41〜50km】

右膝の痛みが引かないので、もう一個ロキソニンを飲んだ。1日2個までと言われていたので、本当は50kmを過ぎてから飲もうと思ってたけど、痛みが増して走れなくなる方が怖かった。
そしてやっと50km到達!時間は6時間。このままのペースで行けるなら12時間でゴールできる計算になるが、そんなはずはない。足にもだいぶ疲労が溜まっている。だけど真夏に皇居の周りを50km走った時よりは余裕があった。あの時は気温が34℃まで上がっていて汗の量が半端じゃなかった。意識も朦朧としていた。でも四万十川は山に囲まれていてとても涼しく、汗もそこまでかいてなかった。
40kmくらいからずっとトイレに行きたかったけど、いつも並んでいる人が多いから寄ってなくて、ここで初めてトイレに行った。トイレを待っている時にSさんと知り合いになった。「東京から来たんですか?」と話しかけてくれた。とても感じのいい地元のランナーさんで、去年は60kmの方に出場し、今年初めて100kmに挑戦しているとのことだった。フルも60kmも走ったこともないのにいきなり100kmに出ていると言ったら笑ってた。

【51〜60km】

練習で50kmまでしか走ったことがなかったからここからは未知の領域だった。でもこの時は、写真をとってインスタのストーリーにあげる余裕があった。歩きながら50km達成のインスタのストーリーをあげた。ウルトラマラソン常連の方にそれくらいの楽しむ余裕がないとダメだよ!って言われてた。本当にそうだと思う。景色を見たり、写真を撮ったりして気持ちを上げていかないと、暗い気持ちでは、一気にしんどくなる。後半の25kmでそれを思い知ることになるのだが、それはまだ知らない。途中、名物の写真スポットの沈下橋があったり、標高100mくらいの小さな山があったりして、飽きないコースだった。沈下橋の付近でSさんとも合流して、山の上り坂は一緒に歩いた。そこでSさんが「ここまででこの時間なら、あとは歩いてもゴールできるよ」と言っていた。僕は「え!本当ですか!?」と素直に受け取って嬉しくなった。そこで少し油断してしまった自分がいた。でもそんなことは決してなかった。走らなければ確実にゴールできなかった。そこで歩き続けずに、下り坂から走って本当に良かった。ただ、その計算するのもめんどくさいほどには疲れていた。

【61〜70km】

61km地点。レストステーションに着いた!事前に送っていたバッグからTシャツを取り出してそこで着替えた。それはキッズのイベントの時にいつも着ているもので、パワーをもらえた。これを着れずにリタイアはしたくない。絶対にここまでは辿り着きたいと思っていたから、とても嬉しかった。スタートからここで初めて腰を下ろした。エイドでも一度も座っていなかった。座った途端にドッと疲れを感じた。ウルトラマラソンの熟練者に「エイドは休憩じゃない。最低限のエネルギーと水分摂取で通過した方がいい。」とアドバイスをもらっていたからだ。ここでは少ししか休んでないつもりだったけど、30分以上休んでしまっていた。ここから70kmまでがとても長く感じた。座ったことにより、一度途切れた緊張の糸が自分をオフモードにしてしまったのだろうか。中々進まない感覚だった。

【71〜80km】

75km地点のエイドで水を飲み、走り出した矢先に、左膝がピキッとなり膝を曲げられなくなった。急いで近くの段差を探して左脚のふくらはぎ、太もも、お尻周りをストレッチした。なんとか曲げられるようになり、ゆっくり走り出すも、足を伸ばしてしまうとまた同じような痛みが出る。気を抜くとその状態になってしまう。軽く曲げた状態でゆっくりのペースで走り続けるしかない。歩きから走り出そうとすると同じ状態になる。まだ制限時間には余裕があるが、全て歩いていたら到底間に合わない。

初めてリタイアが頭をよぎった瞬間だった。

でも、まだなんとか左膝は動く。本当に動けなくなったらリタイアしよう。そう決めてからは、とにかく自分の脚を前に進めることだけ考えてた。前を向く余裕もないから、ずっと足元を見ながら走った。景色なんて見る余裕もなくて、前を走ってる人を見ることもなくなった。とても遅いペースだったからどんどん抜かされていく。それでも自分を信じて「まだ行けるまだ行ける、まだ動くまだ動く」と頭の中でリピートしながら走った。頭の中はもうその言葉だけだった。
止まってしまうと、また走り出す時に膝が曲がらなくなるから止まりたくなかった。でも水分や糖分を摂らないと走り続けることはできないので、エイドごとに椅子に座ってストレッチをしてから走り出した。この区間でだいぶ時間ロスをしていたと思う。

【81〜90km】

少しの段差や、道路が傾いているだけでイライラした。「クソ、なんでこんな傾いてんだよ💢」とか、エイドの軽食を見て「またアンパンとバナナかよ…」とか(なんて失礼なやつ笑)、そんな些細なことでキレることなんて普段ないから、自分でも驚きつつ、自分がいっぱいいっぱいなのがわかった。あぁ心身ともに余裕が無くなるとこうなるんだなと思った。
今までは、あと10km行ったら70kmだ!とか、あと5kmでエイドじゃん!と思えていた。いつも走ってる河川敷のコースを思い出して、あとちょっとだ!って思えていた。だけど、もうそんな距離は想像したくなかった。5kmすら遠すぎる。想像しただけでも嫌になった。10kmなんて想像したら心が折れそうになった。こんな状態で、10kmも走れるかな…?って。だからゴールからの距離なんかは考えるのをやめた。目の前の1kmさえもとても長く感じた。とにかく82kmまで、83kmまで、と1km刻みの看板を次の目標、次の目標として頑張った。まだいける、まだいける、まだ動く、まだ動く。で頭の中をいっぱいにして。
そんな感じで走っていると、88km地点でなぜか左膝の痛みがほぼ消えて(痛みに慣れた?)7:30/kmくらいのペースで走れるようになった!そこからは段々とポジティブになれるようになり“ここまで来たんだ。最後まで走り続けよう!それがおれの美学だ!”と思えた。

【91〜100km】

2時間以内に残り10kmというところまでなんとか来た。これなら、途中で少し歩いてもゴールできる。だけどそれはカッコよくないなと思った。ゴールできればそれでいいのか?それで満足か?自分に問うた。自分が出した答えはNOだった。どんなに遅いペースでもいいから走り続けることに意味がある気がした。それはきっと、この大会に出たのはゴールすることが目的なんじゃなくて、本当の目的は自分の限界に挑戦することだったから。だから登り坂も下り坂も全部走った。登り坂なんてほとんど歩いてる人と変わらないペースだった。「おかえり~」とか「頑張れ~」っていう掛け声が多いけど、自分に対しては「ナイスラン!」って声をかけてくれる沿道の方が多いような気がした。「ラストまで!」って声が嬉しかった。自分のやっていることが間違ってないと思えた。「すごいです。自分を褒めてください!」って言われて、涙が出た。なんでだろ?って考えてみたら、自分を褒めるって意外としてこなかったからかもしれない。いつも自分に矢印を向けているつもりでいるし、大体のことは自分はまだまだ未熟で自分の方が変わらなきゃって思うことばかりだから自分に対して「よくやった。よく頑張った。」って思うことはほとんどない。それはそう思ってしまうとそこで成長が止まる気がするから。だけど今回のことは慢心とかそういう事にはならない気がした。本当に限界の中で、歩くこともできるけど、歩かず走り続ける選択をした自分。自分の在り方を最後まで守った自分。自分にとってのカッコいいを貫いた自分を今日は褒めてもいいと思った。ゴールした瞬間は、意外とあっけなかった。よっしゃあ、やり切った!って思ったし、達成感は凄かったけど、疲れ切っていてそこまで感情が湧かなかった。

【100kmを完走して】

他人からのカッコいい、ダサいの評価じゃなくて、『自分のカッコいいを貫く強さ』を得られた気がする。極限状態の中でそれができたのが良かった。またそれと同時に『楽な方に流されない強さ』も持っているんだなと自信になった。7月まではCSCSの試験勉強で十分な練習をしていなかった。そして9月の中旬に膝を痛めて、その後も満足のいく練習ができず、準備は万全ではなかった。だから体力的、肉体的には、正直厳しいかもしれないなと思っていた。「完走するよ!」って全員に言っていたけど、本当の心の奥の本音は、冷静な自分は、完走できるか分からないなと思っていた。だから「君は完走できないと思うな」って意見を聞いた時には、冷静な判断をする人だなってすんなり受け入れていた自分がいた。
だけどメンタルは、メンタルだけはやられねえぞって気持ちはあった。メンタルコーチとして、そこは折れちゃいけないと思ってたし、メンタルでカバーできるとも思っていた。それを自分自身で証明できたことがすごく嬉しかった。
本当に色んなことを感じ、強くなれた大会だった。これからも色んな挑戦をして、迷ったらカッコいい方を選択して、人生を楽しんでいきたいと思う。

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