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【私の感想 #10】戦争と人種差別の惨さを教えてくれる映画『戦場のピアニスト』(2002年、仏独波英合作)

1:あらすじ

 1939年。第二次世界大戦が勃発し、ポーランドはナチスドイツの政策によりユダヤ人の差別や迫害を次々行なっていった。強運に助けられながらもユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンは逃亡することとなる。ただ『ユダヤ人である』というだけで彼は、銃弾や爆発、憎悪や残忍さの巻き起こる戦場を走らざるを得ない。彼の運命はどう転ぶのか――実話を元にした今尚褪せぬ鮮烈な戦争映画。

2:感想

 名前だけは知っていましたが、この20年見ることなく過ごしてきました。情けない事に戦争映画というものを見るのが怖かったからです。
 人が人を殺す。いとも簡単に虫ケラのように。こういう映像が耐えられないからだと思います。

 しかし、私自身も広島県の『原爆資料館』や鹿児島県の『知覧特攻平和会館』で様々な悲痛な記録を見てきて、「これは忘れずに知っておかなくてはならない事だ」と思ったこともあり、こうした戦争映画を見ようと遅くなりながら決心しました。

 この映画を観て最初に心に浮かんだのは、怒りでした。
 前半部分は主にユダヤ人の迫害の様子が鮮明に描かれます。『ユダヤ人お断り』と書かれたカフェ、公園への立ち入り禁止、ユダヤ人であると示す為の腕章の義務化、居住区の制限(ゲットーと呼ばれるもの)、通りでのコミカルな踊りの強要、重労働、殆ど意味の無い打擲、そして銃殺。
 人が他人に対してどうしてここまで出来るんだ、と。尊厳を踏み躙って、人命を軽く扱って(描写が本当に息をする様な銃殺のシーンがあったりします)。最後のシーンでとあるユダヤ人が敗北したドイツ人に「この人殺しが!お前のせいで俺の人生滅茶苦茶だ!」と罵っていたのはさもありなんでしょう。本当は胸倉でも掴んで何発も殴ってやりたいだろうに。人種差別と戦争という異常な空気が人間をここまで狂気に駆り立てるのか、ということにも背筋が凍る思いをしました。
 兎に角そんな胸糞の悪い描写が続きます。そこには当然ながら殆ど心からの喜びや楽しみの笑顔はなく、良くて安堵や蔑みの笑みしかありません。残りは恐怖、悲しみ、苦しみ、そして怒りの顔。負の感情ばかりが浮かびます。
 そして逃亡生活が始まる訳ですが、物語が進むにつれて生活がどんどん削られていきます。住む所は転々としていきどんどん見窄らしくなり(どころか街も完膚なきまでに破壊されてゆく)、着る物すら満足に用意できず、遂には食糧を求めつつ逃亡をするようになります。正しく、生きる食べる為に生きる状態になっていくのです。これも現実の一つであるとは言え、もし私がこんな生活になったら、間違いなく「死んだ方がマシ」と思うことでしょう。しかしそれでも死にたくないとも思うでしょう。死の恐怖をここまで肌で感じて、死ぬという選択肢が多分浮かばなくなるのでは、と。

 しかし、この映画には確かな一筋の光も差しています。この世には分かろうとする人がいる、という光が。そして戦争や人種差別に反対するという光が。特に象徴的な人物が終盤に出てくる一人なのですが、その人物は特にそうした光をぎゅっと凝縮した存在と言えるかもしれません(この時点で1944年、つまりドイツ降伏に近付いているので、その人物は恐らくドイツが敗北する事を悟っていたのではないかとも推察します)。
 更にその光を明確にしたのが、シュピルマンのピアノ演奏でした。私は、ここのピアノ演奏程凄絶な演奏シーンは見た事がありません。これまで起きた事やそれに付随する凡ゆる感情を乗せて弾いている様に思えたからです。
 実は逃亡生活が始まってからこのシーンまで、本当のピアノ演奏は出てきません。戦争の最中にあって、それも目立ってはいけない逃亡生活の最中にあって、ピアノを弾くなんてことは出来るはずも無いからです。だからこそ、戦争中かつ逃亡中に弾いたピアノが完全な転機になるというのは、音楽が戦争から平和へと転換させている様にも感じました。
 大分色々伏せましたが、このシーンに至るまで是非観ていただきたいです。

 決して楽しい映画ではありません。むしろ観るのに覚悟が要ります。それでもこの映画は後世に伝わるべき映画として残すべきと、このご時世において強く思います。

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