room6木村の旅 編集後記
収録を経て、room6木村さんのキャリアは、ゲーム業界の変遷と個人の情熱が交錯する物語であると感じた。1972年生まれの木村さんは、就職氷河期に直面しながらも、ゲーム開発者を志した。しかし、その時代の経済状況により、一度は業務系エンジニアとしてキャリアをスタートさせた。それでも彼の情熱は消えることなく、iPhoneの登場によって再び燃え上がった。
そこから現在のroom6での作品作りにつながるまでのストーリーを改めて記してみようと思う。
業務系エンジニアからゲーム開発へ
木村さんは1990年代、勘定系システムやネットワークセキュリティシステム、テレビ局の編成システムなど、多岐にわたる業務系システムの開発に従事からキャリアをスタートさせた。1999年の「2000年問題」では、大晦日をパソコンの前で過ごし、その影響を見守ったという話は、時代を感じる。この時期に培った技術力と経験は、後のゲーム開発においても大きな基盤となっているものだと思う。
2007年、iPhoneの登場は木村さんにとって大きな転機となった。彼はスティーブ・ジョブズのプレゼンに衝撃を受け、iPhoneのアプリ開発に挑戦したいという強い思いを抱いた。しかし、当時の勤務先は保守的で、彼の提案は受け入れられなかった。木村さんはこれを機に独立を決意し、2010年に起業した。
iPhoneの衝撃と独立
独立後、最初は業務系の仕事を続けていた木村さんだが、2013年頃から本格的にゲーム開発に取り組むようになった。そのきっかけは、iPhoneのフレームワークを利用すれば、一人でもゲームが作れるという可能性に魅了されたことにある。iPhoneはそのシンプルな操作性と強力な開発ツールにより、個人開発者でも高品質なゲームを制作できる環境を提供した。これにより、木村さんは独自のアイデアを形にするための道筋を見つけた。
僕も始めてiPhone3Gを手に取った2009年頃に、手のひらに収まるサイズの端末でアプリケーションの形を通じて、様々なサービスや可能性が日々開いていく時間をリアルタイムで体験していたため、このような感覚は非常に理解できる。インターネットとiPhoneによって、僕も人生が始まった感覚であった。
ただそうはいっても、ゲーム開発の初期段階では、試行錯誤の連続であったと推測される。プログラミングの細部に至るまで学び直す必要があり、デザインやユーザーインターフェースの構築にも多くの時間を費やしたのではないだろうか。
インディーゲームの新しい可能性と音楽の重要性
独立してゲーム開発に専念する中で、木村さんはインディーゲームの新しい可能性に気づく。今となっては大手企業の枠にとらわれない自由な発想と、個人の創造力を最大限に発揮できるインディーゲームは、革新的なアイデアや独自のストーリーを持つゲームを生み出す土壌となっているが、当時はまだ少人数、低予算のゲーム開発のような雰囲気があっただろうと思う。
ゲームに求める要素を聞いた時に木村さんは、ゲームにおける音楽の重要性を強調した。特にインディーゲームにおいて、生演奏の音楽を取り入れることは非常に珍しい(これはコストや技術的なハードルが高い為)が、彼はその価値を強く信じている。僕は彼の話から「音楽はゲームの世界観を形成し、プレイヤーの感情を揺さぶる力がある」ということなのだと受け取った。
任天堂出身の作曲家、椎葉大翼氏との出会いは、木村さんのゲーム制作に大きな影響を与えた。椎葉氏の音楽はゲームに深みとリアリティを与える。彼は椎葉氏の音楽に強く惹かれ、その協力を得ることで、自らのゲームに独自の音楽体験を取り入れることができた。これは単なるBGMとしての音楽ではなく、ゲームの重要な要素として機能するものであったのだと思う。
また木村さんのゲーム開発においては、音楽、シナリオ、グラフィック、ゲームシステムの四本柱が揃って初めて、プレイヤーを魅了する作品が完成すると語る。確かにインディーゲームの良さは、大手コンシューマーゲームの緻密なグラフィックや卓越したゲームシステムとは種類が違う「世界観」のユニークさや魅力で、そういった世界観を醸成する要素となるのが音楽やシナリオであると思う。
際立った特徴は時に大多数の消費者を相手にする大手の商業ゲームにおいては敬遠されることがあり、ある程度似通ったものが作られることになると思うが、インディーゲームではその枷がなく開発者の自由で、ある種エゴイスティックな世界観をぶつけれる場所になるのだろうと感じる。
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