【心の詩歌】油断したい、させられたい
詩歌でいちばん大切なのは「ともに油断する力」ではないかと思うことがあります。
特に短歌においては、あらかじめ同じ形式の作品と比較される運命にあるため、ストイックによりよい表現を求めてしまいがちですが、感情を揺さぶられるためにはこちらが油断したく思うのです。油断させてほしく思うのです。
詩歌は勝負ではないし、求道でもない。
人生や生活という現実があって格闘している人が、息を休める場所です。
こういう話も、あまり言葉を尽くすと、詩歌の範囲を狭めてしまいますが……。
「凄み」は抜きたい。凄みがあるというのは、凄んでいるということです。
短歌で凄んだって仕方ありません。
多作多捨は、すごくいい作品を作るためではなく、自然に歌うためのものだと考えます。
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