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夕暮れに塩を塗る


人生ずっと厄年。こないだ会話のなかでポロッと言った言葉が自分のなかでどうも響いていて、ちょっと強すぎる言葉だったかなぁと反省している。トータルでささいな不運が多い方な気がするけど、確かに楽しいことはある。それを全部否定するようなことを自分で言ってはいけなかったな。

一人でも楽しいことはあるけれど、どこかそれらは全て隙間を埋めるような作業じみてしまっている。映画やアニメを観る。誰かに何か言いたくなる。ご飯を食べる。誰かに何か言いたくなる。固有の他人ではなく「他人」という概念に固執している気がする。結局、独りは寂しい。それだけ。本当にそれだけなのだ。


脆々に弱ってしまったメンタルや不安定な立場にいることそのものが人に気を遣わせているなぁと感じていて、申し訳なさと情けなさと悔しさで行動している。目に見えて後が無い、断崖絶壁にじっくりじわじわ足を進めているようで、いっそ飛んだ方が楽な気がする。命綱も無いし、収入がなくても出ていくお金は変わらずにあって、本当に生きていたくなくなってしまう。それらの感情はあんまり心に良くないようで、みるみる体調が悪化していった。夏バテってここまでひどいもんかしら。ほとんど水分だけとって生きてるようなものです。固形物いっぱい食べたい。稼ぎが無いときほどお金を使うのは本当である。働いていたときの時間分家以外のところにいれば浮かせられる光熱費のことを思うとまた気持ち悪くなってくる。


自分が「もう無理」であることを頭のどこかで分かっていながら口では「大丈夫です!」と言い続けて死んでいく。分からない方が幸せなことはあるけど、弱い自分やどうしようもない自分を認められなくて、受け入れられなくてもがいている。自分はこんなもん、大したこと無い、って諦めて認めてしまえたらいいのに。なにも出来ない癖にプライドだけが高いと自分にも他人にもその先端が刺さるもので嫌になる。


    *


余白。余裕。余暇。有り余るそれらを前に、大事にしてたいけどこんなに要らんな~と思っている。


何者かに成りたくて「自分」に(見た目そのものや経験的な付加価値で)飾りつけをする。そうやって身につけたもので判断されて生きていくのが概ねの世の中の流れと思うけど、疑問符ばかり浮かぶ。

飾りつけも含めて全部自分だけど、それらが無くたって自分は最初から自分だったじゃないか。生きていく限り枝葉みたいに自分の範囲が伸びて広がっていく。しかも他人と関係する以上は最低限勝手に広がっていく。それだけであることの一体何がいけないのだろう?

無理に「自分」の空いたスペースに色塗りしなくたっていい。埋めたい気持ちも痛いほどに分かるけど別にそのままでも良いと思う。これは肯定ではなくて無関心だけれど。



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大好きな映画のなかに「人は誰かと居てもちゃんと孤独を感じる生き物だ」という台詞があって、その言葉にするんと心を掬われることが度々ある。誰かと居ても寂しくなって良いのです。

私が大好きな映画の大好きな点が全然伝わらないだろう人も居て、そういうことを忘れないでいたいと思う。人と生きていくって不器用にしか出来ないけれど、違いを理解するところから始まるのかもしれない。


最近の燃え尽きるように変わる夕焼けを見つつ。痛いこと痛いって言って、言いたいこと言う記事でした。夏バテ気を付けようね。


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