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〜ロスが苦手だ。


ロサンゼルスが嫌いとかでは無い。

昔から〜ロスが超苦手だ。

例えばそれは本や漫画、ドラマに多くて、そこまで見続けてきた世界が無くなってしまったように感じる。

一方、『◯◯ロス』をもっとカジュアルに使う場合もあります。例えば、夢中になって見ていたドラマが終わった時、気が抜けたようになり、『◯◯(番組の略称)ロス』とか、お気に入りの俳優がいれば、『◯◯(役名の名字)ロス』という使い方もあります。

自分の場合何でこの現象になることが多いか?と真剣に思い出した時「漫画」に多いことに気がついた。


全30巻ある「君に届け」の後半 半分以上読み切った高3の夏休み最終日なんて次の日始業式行けないんじゃないかっていう人生最強レベルのロスに陥ったし、


(君に届けは超大好きなのでどこかでnote書きたい。けど愛が強すぎてもっかい1周しないと書きたくないので当分無理。)


「シガレットアンドチェリー」を完読した大学2年の時はまるで失恋したような気持ちで彼女に会いに行ったし、

こっちはまだ短いから書けそう。


自分は何かを「好き」とか「愛おしい」と思うことに凄くカロリーを使う。てっきりみんなそうなんだと思ってたけど。

愛が強すぎる故に君に届けのアニメの続編も、Netflixのドラマシリーズも、チェーンソーマンのアニメ全般も全く見れなかった。

好きな曲やアーティストが出来たら飽きるまで永遠に聞く(これを自分は勝手に「消費」と呼んでいる。) 好きなYouTuberを見つけたらサブチャンネルまで全て見る。


自分は「好き」は「怖い」と思う。

「好き」な物に裏切られるのも怖い。

それが人であっても作品であってもだ。

「好き」なものに飽きてしまうのも怖い。

「好き」だと思っているものに何も感じなくなっている自分を想像すると「嫌い」だと思う。

けどこれまで自分が好きになったもので手元に残ってるものなんて全然無くて、

あの頃狂ったように聞いてライブにも欠かさず行っていたクリープハイプの曲は今Spotifyに1曲も入っていなくて、

あの頃授業で作ったラジオで聞いていた地方局の番組は最近終わったらしい。

恋愛においてもそうで、

昔、一緒に誕生日を祝ったり、旅行に行ったり、ほとんどの時間を一緒に過ごした相手と簡単に別れて

また別の人と同じ事が出来る友人をSNSで見て、自分には出来ないと感じた。

けど21歳になった今、多分周りから見て自分もきっと何も変わらないなと感じる。

どんどん「初めて」の喜びや好きは薄まって「ロス」も軽くなっていった。

そんな自分を「嫌いだ」と思う。

ここに僕がいて 横に君がいる人生なら
もう何もいらない 嘘じゃなかったはずなのに
電話握りしめて 朝まで口実を探していた
胸の痛みはどこにいたのか こんな事になるまで

何もできない君なら 何でも出来る僕になろう
誓った夜の僕には なんて言い訳して謝ろう

backnumber 繋いだ手から


この曲はその地方局のラジオで初めて聞いた。

この曲はその頃からずっと好きだ。

確かにこの曲の言う「誓った夜の僕」にはなんて言い訳してもぶん殴られそうな気がする。誠に申し訳御座いませんでした。

いつか全部の元「好き」を自分のアルバムを振り返るように懐かしく思えますように。

なんかセンチ!!!

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