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同一性・一貫性について考える


長らく生きてきても「初めて気付く」ことはいろいろある。

最近気付いたのが、「自分は、一貫性がないことにモヤッとしがちである」ということ。

例えば、知人が、ある共通の知人(Aさん)について「あの人苦手なんだよね」と言ってあれこれ話す。「そうなのか。この人はAさんのことが苦手なのだな」と理解する。

しかし、別のときにその知人がAさんと「やだひさしぶり~!やっと会えた~♡」などと再会を喜び合っているのを目撃する。

すると、わたしの脳は「ええっ?あれっ?仲いいじゃん?!聞いてたのと違う」と軽くパニックを起こす。

あの時から今まで、二人の間で仲を修復する何かが起こったのかもしれない。

それとも、知人は、あの時、ストレスが溜まってクサクサしていたのかもしれない。

知人が、急激に人間の器を大きくしたことでAさんのことが気にならなくなったのかもしれない。

はたまた、ふたりは、仲良い風を装うのが超絶上手いだけかもしれない。

人生にはいろいろあるだろう。

しかし、わたしの脳は、前の情報との違いにプチパニックを起こしているのだ。
こういうとき、「ああ、脳のエネルギーを無駄遣いしてしまった」とがっかりする。

自分自身の考えをクルクル変えるのも苦手かもしれない。

人によっては、クルクルと気持ちが変わってもあまり気にならない向きもあろう。

自分はこういうタイプだ、と自覚した。ただそれだけのこと。

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