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キンちゃん、ありがとう

少し前の事です。
飼っていたメダカが、亡くなりました。受け止めるのに少し時間がかかっていて、いまも心の中が整理つかずにいます。 1年8ヶ月もの間、ダイニングの自分の席の隣の窓際にいてくれて、様々な表情を見せてくれました。コロナ禍のピークで家庭内がギスギスしているときにやって来て、私にとってはオアシスのような存在でした。

毎朝、「キンちゃん元気ー?」(赤くて金魚みたいだからキンちゃん)と話しかけて上から覗くと、お腹が減っている時は水面付近ウロウロしていて、エサを待っています。エサをあげるとなかなかのスピードで食べ尽くして、水草の下の方へスイーっと隠れてしまいます。

当初は全部で6匹ほどいました。ただ、飼育方法が悪かったか適正な密度の問題か、3〜4ヶ月の間に5匹は亡くなってしまい、残ったのがキンちゃん一匹でした。2回の寒い冬を越え、2回目の夏を迎えるところでした。その間、1人で楽しそうに水槽の中を自由に泳いで、マイペースで過ごしている様子は何とも愛らしく感じました。

ある朝、いつものように覗き込むと、底の方でやや斜めの体勢で弱々しく、明らかにいつもと違う様子でした。水温がやや高いと感じたのですぐに水を半分入れ替えて日陰に移し、丸一日は頑張ってくれました。いろいろ調べて対処を尽くし、体調が戻ることを期待しましたが、残念ながら命の終わりを迎えました。

猛暑で水温が上がりすぎたのかもしれません。前の週に水替えした時、うっかり水槽を飛び出してしまったことが影響したかもしれません。それなりに長く生きてくれて、寿命だったといえばそうかもしれません。でも、思い返せば後悔ばかりで、もう少し何かできたかもしれないのに、と自分を責める気持ちと、事実と向き合えない気持ちが混在しながら一週間を過ごしました。

たった一匹のメダカの存在が、こんなにも大きいものだったのかと実感しました。何も話さないけれど、小さなフグのような愛嬌のある表情で、目はパッチリと大きく、どこかコミュニケーションが取れているかのように感じることもありました。

生き物を飼うことと、別れは切り離せません。多くの方がペットロスで悲しい気持ちになられている様子を、時折SNSで拝見することもありました。自分では「まぁ、メダカだしなぁ」という、出来事を小さく捉えようという心理がはたらいていたと思いますが、決して小さくないショックなのだと、少しずつ自分の気持ちに気づくことができました。

亡くなった翌日の早朝、多摩川に自転車で向かいました。観賞用の人工種のメダカとはいえ、元々は川にいた生き物なので、川に返すことにしました。多摩川のほとりに着いてから、手のひらに載せて、朝日を浴びる姿にお別れの挨拶をして、川の流れにお任せしました。

愛嬌のある顔つきでした

澄み渡った早朝の夏空と、深くて青い多摩川の流れが、キンちゃんを包んでくれているようでした。

しばらくは、心の感じるままに、思い出したり悲しんだりすることにします。本当に長い間、楽しい時間を一緒に過ごしてくれて、そして僕を助けてくれてありがとう。どうぞ安らかに。

2023.7.18 早朝の多摩川にて

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