さえなくてくだらない毎日が輝く魔法とそれを愛していきたい
カメラを首にぶら下げて、あっと思った瞬間を躊躇なく撮る。
それがこの魔法の使い方。
デジタル、フィルム、高画素機、正直何でもいいと思うよ。
どんな景色でも、どんな時間でも、どんな天気でも、言葉にできなくて伝えれない感情を大切なヒトや届けたいヒト、大きくいえば世界に魅せることができる。
写真って改めて凄いって思いませんか?
仕事としてお金をいただく写真ではそうはいきませんが、そうでないなら特別な技術はいらないし、他人の評価も気にしなくていい。
ただ、近くの誰かやどこかの知らない人が1人でも「素敵だね」って言ってくれれば、自分さえも幸せになれる。
それくらいラフな存在でいいのが、ぼくにとっての写真の存在。
(もちろん仕事で撮影する時はそうはいかないんだけど。。。)
人って探求する生き物。
かの有名なフランス学者 パスカルの「人間は考える葦である」とは有名な言葉だけど、考えて考えて思わぬドツボにはまってしまうことがある
(考えることは大事だし、それこそが人間だと思うけど)。
初めはノビノビと広場で走り回っていたのに、いつの間にか(身を置いた環境によって)もっと陰影気にしなきゃとか、現像しっかりしなきゃとか、いいねの数がつかない理由は何だとか、フォロワーが欲しいとか、窮屈なオリに入ったことに自身で気づかずもがき始める。
そんな経験をした人もいるんじゃないかって思う。
それが自分のしたかったことだったんだろうか。
周りの大きな志や活躍で、いつの間にか自分の道筋が上塗りされていやしないだろうか。
何となく、自分もそうしないといけないって思っているなら違う気がする。
今この時代、もっとくだらないことをすることを愛していきたい。
そしてそんな一見さえないような毎日を写真で残して、愛でていくのもいいじゃない。
今日もぼくはカメラをぶら下げて、心が「あっ!」ってなったらシャッターを切った。
text Ko Okamoto
camera FUJIFILM X100V
個展を3月29日まで開催中です