何かを成し遂げたくて焦ることは必然であることはわかっていて
最近、なんだか身体がだるい。
体調はいたって健康で、なんなら今日は歯医者へ虫歯がないか定期検診に行ってくるくらい気持ちに余裕もあると思う。
だけど、身体はだるい。
だるいというか、こう心から湧き出るようなものが静か。
歩いている時にみる木陰のゆらめきや家でぼーっとしている時に外から聞こえてくる犬の鳴き声とかそんなささいなものが妙に自分の中で存在感を増している。
ふとツイッターを見ると、活発に動いている人たち。
インスタグラムを見ると、毎日投稿をする人たち。
どこかで流れてくる誰かの活躍。
自分が何かに夢中な時は、見えない・聞こえない・入ってこないそんな情報たちをどんどん知る。
大学生後半くらいからか自分が妙に生き急ぎ始めたと思っていて、今もそれは継続中で、「何もしない日」をあえて作ることはとても勇気がいるような気がしている。
別に大した予定ではない予定を休日に入れることで、いつでも脳内は活動をし続けている感覚を持ち、それが何かを成し遂げることに着実に繋がっているのだと思い、自分を安心させているのかもしれない。
なので、このnoteを書いている今日。
「何もしない日」とした。
厳密には深夜にミーティングがあるのだけど、深夜は圏外ということにして。
僕は最近、目的と目標を考えている。
皆さんにも何かそんなものがあるだろうか。
多かれ少なかれ、それを成し遂げるにあたって、尊敬する人や活動が目立つ人を見たり、時には追いかけたりすることもあるかもしれないが、それに引っ張られるように、それを同じことをすればいいってものでは無いと最近思っている。
一夜漬けや目的とは達成できないものであって、真似を続けていればいいってものでもない。
自分軸がちゃんとあって、歩き続けているのかが大事なんだと思う。
そしてもっと大事なのは定期的にメンテナンスすることだと考えていて、今日僕はこのnoteを書いたり、だらだらしていたりする。
時間は本当に限られていて、そして成し遂げるタイミングはいつ降ってくるのか掴めるのかわからない。
だから、生き急ぐし焦ることもあるのだけど、結局ちゃんと準備ができていなければ、そもそも掴めないものだ。
とすると、自分で焦ってばっかりで自滅するより、周りは周り。自分は自分と肝を座らせて土台とするのが重要だなって感じている。
今日のnoteはちょっと日記みたいなので、読んでくださっている人には抽象的かもしれない。
虎視眈々と。