写真がこれまでの自分の軌跡を証明してくれる
たくさん悩んで、迷って、少し進んだつもりになって、でもそうじゃないって思ってまた立ち止まって、それの繰り返しだけど、来月なのか1年後なのか10年後かに過去の自分からどれだけ前に進めたか知りたい。
そんなことを思った時、過去の自分が昔撮った写真の先にいるような気がした。
写真を撮る瞬間ってみなさんはいつですか?
当たり前だけど、ひとそれぞれだけどその答えを知りたくなったら、試しにカメラロールを見直してみてください。
どうですか?
どんな時に撮った写真がありましたか?
幸せな時?楽しい時?悲しい時?苦しい時?
どんな時に撮っていましたか?
その時のあなたはどんなあなたでしたか?
今のあなたとまったく一緒ですか?
少し成長しているな自分って思いましたか?
あ、ちょっとお腹出ちゃったなって感じですか?
隣に大切な人がいて今の自分いいな、ですか?
好きなバンドは変わってしまいましたか?
随分違う景色が見えるところにいますか?
そもそも写真を全然撮っていなかったですか?
僕の話をしようと思う。
ぼくはというと、大学生まではまったく写真を撮っていなくてそもそも無い。
大学生になってようやく撮り始めた。
しかし、飲み会の写真しかない。
社会に出ても27歳くらいまでは飲みの席くらいしか写真がない。
あとは当時付き合っていた子だとか、まあその他雑多なものだ。
つまり、飲み会がとても好きでワイワイしている時は幸せで、そういう時間が大切だったんだと思う。
そう思うとここ数年の写真を昔の自分に見せたら、随分理解いただけないと思う。
何があったのか自分でも分からない。
昔の写真を見返すと、今はこんな写真を撮らないよって写真がでてくる。。なんでこんな写真を撮ったんだろう。
そう思った時、過去の自分と今の自分が写真を通して対峙しているような気がします。
中にはそれがきっかけで鮮明に当時の記憶が蘇ってくるものもある。
もちろん良い想い出ばかりではないし、蘇えらなくてよかったのにって思うものもあるけど
ただ、きっとそういう積み重ねが今の自分を形づくっていることは確かで、自身が撮ったり、写った写真があれば確かに過去に自分がいた証明になる。
1秒でも過去は過去であり、1秒前に自分が確かにいた証明をできるものは写真しか今のところないような気がする。
そう思うと、写真を日々撮ることでぼくは自身の生きた証を残すことに執着しているような気さえしてきた。