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何者か

日々、何者かになりたくてもがいている。
私だけのアイデンティティが欲しい。
ずっとそう思ってきた。

浪人、大学のレベル群、そして大学院、地方出身、将来の夢。
誰にも代え難い自分だけのもの。
だけどそれだけじゃ満足出来ない。もっと、もっとってどんどん貪欲になる。

今までは親が資金を出してくれたから得られたものばかりだ。自分の力でつかみ取りたい。

大学院の合格は人生で1番嬉しかった。合格の文字を見た瞬間震えた。涙が出た。こんなに嬉しい時ってこうなるんだって思った。
初めて自分で掴み取ったという達成感があったのかもしれない。でも、それは自分だけの力ではない。周りの応援、予備校の先生、そして何より親の援助あってのもの。

きっと何者にもなれないのかもしれない。というか、限界を知りたくないし目を瞑っているだけかもしれない。
心理士になったとして、もし問題を解決できなかった時、患者さんにとっての何者にもなれないことが怖い。
そのためにもっと色々な経験をしなきゃ、もっと視野を広く持たなきゃ、もっともっと、、と焦っている。

ここまで自分に特別感があると思って、信じてやまないアホは居るのだろうか。そして思ったとして、本当に何者かになれる人はどれほどいるのだろうか。

そもそも、何者という定義はなんなのか。
私は、たくさんの人にとっての唯一無二の存在になりたい。心理士として、患者さんの人生の悩める瞬間における何者かになりたい。そんなエゴで目指しているのかもと感じる。

恋愛に対しても思う。誰にも代えがたい存在になりたい。特別が良い。別に結婚できなかったとしても一生忘れられない女になりたい。
でもそんな破滅的な思考のまま、年齢を重ねた時、相手にとっては記憶に埋もれたなんでもない女になり、誰からも特別扱いして貰えない日が来るかもしれない。怖い。

形はなんでも良い。誰かの特別になりたい。
それは1人だけで満足出来ない。

不倫相手はもう既婚の時点で特別にはなれない。
目が覚めた。終わりにする。分かっている。

何者かになれたかなって思える瞬間を早く体験したい。そのために、今できること、興味のあること、将来に繋がりそうなことを何でもやってみる。そこから合うものを継続して続けた先に見えるものが楽しみで仕方がない。

人生は最高でも100年そこらで終わる。
それなのに、何も感じずに、傷つかない道を選んで良いのか。私は無駄に傷つく道を選んでいる気もするけど、そんな自分も愛おしいと思ってしまう。
けど、そんな自分に疲れる時の方が多い。
そんな時に横で見ていてくれる誰かに、いつかまた出会いたい。

不倫相手はそんな人だった。
涙が出てくる。多分、探せばもっといる。きっと、既婚の限り私の責任は取らないが故の包容力だったとも思う。

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