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今となってもICTと授業について…
Google for Education認定トレーナー/コーチの笠原です。
自分の勤務校では、自分がICT関係の仕事を引き受けていることもあって、好きにツールとしてICTを活用することが日常的になっているため、すっかりと忘れていたのですが、まだまだICTの活用については抵抗のある方は少なからずいるのだと思い出すことになる出来事がありました。
なるほど、まだまだICTに対する意識については考えていかなければいけないことは多いのですね。
道具ということを強調しすぎない
ICTについては、テクノロジーであり、ツールであるので、確かに究極的には「道具に過ぎない」ということはできるのですが、あまり最初から「道具に過ぎない」と言い過ぎない方がよいというのが自分の立場です。
確かにICTはツールなので、授業の改善や教育の質的な改善という観点からすれば、ICTを活用すれば何かが劇的に変わるというものでもなく、根本にあるのは教育観であるのは間違いありません。その意味ではICTはツールに過ぎないという主張は外れてはいません。
しかし、その根本にあるべき教育観について色々と考えていくと、そもそも生活の中でICTを、テクノロジーと対面しないで過ごすことがないということを無視できないだろうと個人的には考えています。
つまり、例えば国語であれば、いくら教室の中からICTを排除して授業をやろうとしても、子どもたちの言語生活の実態を考えると、日々、スマホを中心にICTやテクノロジーに触れている訳です。
そのような状況を考えた時に、学校の授業だけICTを切り離して、必要な時に「道具として使う」という見立てで十分なのだろうかという疑問が自分にはあります。
単なる道具というよりは、もう社会や生活の中に根ざしている道具であること。そして、その道具に影響を受けながら生活していることを前提に、授業でのICTの活用は考えた方が良いだろうと自分は考えています。
「生活」の中のICTをよく見つめる
おそらく、自分がこのような主張を行っても、ICTにあまり興味のない方や苦手な方には伝わっていかない面も多いだろうと思っています。
教員自身のICTの利用頻度や利用経験で見えてくるものにはかなり差があるはずだからです。
その差を感情的に対立して、どちらが正しいかと言い合うことにはあまり生産性はありません。お互いの見えているものを持ち寄って歩み寄るしかありません。
その観点で比較的に落とし所が探れそうな部分が、学校生活における子どもたちのICTの活用の実態をよく見てみることだと想っています。
授業については教員は比較的、感情的に対立しやすいです。自分自身の専門性に直結する部分でもあるので、リスクが高いのです。
だからこそ、学校生活の中で、もっと強く言うならば、子どもたちの生活の中で、ICTがどのように使われているのかということをよく観察することを続けた方が良いと思います。
もし、子どもたちのICTの使い方に何か課題を感じるのであれば、それに対して眉をひそめるだけではなく、学校生活の本丸である「授業」でどのようにアプローチできるのかと、少しだけ視点をずらしてみることで、ICTの活用の可能性は変わってくるだろうと思っています。
ICTの見ない振りは避けましょう
やはり一番大きな課題だなあと個人的に思っていることは、ICTを無きものとして扱うことで、問題と直面しないというケースが多々あることですね。
そこに存在しないものとして扱われると、議論にもならないので、一番、話が進まないパターンですね。
しかし、日々の生活でICTに触れない生活など、存在しない以上、見えない振りを続けるのはそろそろ限界ではないでしょうか、と言い続けたいと思うところです。
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