エストニア 旅備忘録 2023年5月
はじめに
今回のバルト三国周遊最終地点タリンに到着した。
北欧への玄関口、IT立国、これがエストニアのイメージだった。
到着して実際に街や地元の人々と触れ合うとここでもソ連の影を感じることができた。
それと同時になぜ他のバルトの国々ではなく、この国から多くのスタートアップが生まれて来たのか、発展の糸口みたいなものを感じることができた。
リガからタリンへ
この区間もLUX Expressを利用した。
移動日がラトビアの独立回復記念日となっているせいか、15時までのバスは全て満席。
ようやく取れたバスも満席といった具合だった。
午後15時にリガバスステーションを発車したバスはラトビアとエストニアの大自然の中を進み、午後19時過ぎにタリンバスステーションに到着した。
(今回の旅で感じたことの一つとして、バルト三国には山岳地帯というものが見当たらないことだった。ひたすら、森と湖、海が一面に広がっている。)
タリンバスステーションから市内は少し離れていてバスで10分くらいだった。
中世の城壁が美しい港湾都市タリン
街の規模感
こちらも他のバルト三国の首都同様非常にコンパクトであった。
新市街と旧市街が綺麗に分かれており、観光のメインどころは旧市街に集まっていた。
その旧市街は2〜3時間あればほぼほぼアトラクション全て見て回れる距離感に詰まっている。
1日ガッツリ街歩きの時間を取れれば、十分だった。
雰囲気
旧市街は中世の街並みがそのまま残りとても美しかった。
特に城壁に関しては、個人的に今まで見たものの中でもトップクラスで美しく、一日中見ることができた。
新市街は建設中のビルが立ち並び国としての"勢い"みたいなものを感じさせられた。
港湾都市として
タリンは北欧特に、フィンランドへの海上の窓口としても機能しているようだった。一日に数便船の往来があり、旅程によってはフィンランドへの日帰りも可能とのこと。
ソ連の支配と未来志向
この地も他のバルトの国と同様、第二次世界大戦中からソ連の支配下にあった。
占領後は多くの人々が投獄されたり、シベリアやロシアの内陸地に労働力として送られたりし、悲惨な日々を過ごした。
中には、自分たちで船を出してフィンランドやスウェーデンへ逃亡する人もいた。
これらの情報は全て占領博物館で仕入れたのだが、この博物館を建設するにあたって、建設当時のエストニア大統領?の言葉が印象的だった。
「この建物はヘイトを増幅させるためのものではありません。歴史を残し、次の世代へ繋げることでより良い未来を作っていくためのものです。」
ともすれば、こういった建物は危害を加えたものへの憎悪や嫌悪といった負の感情を作り出しがちであると思う。そんな中で、この言葉は、しっかりとそれを否定し、"より良い未来のため"であると目的を定義している。
こういった過去&未来志向のバランスの良い考え方が今のエストニアを形作っている原動力の一つなのではと感じた。
死のダンス
セントニコラス大聖堂に"死のダンス"と呼ばれる絵画ある。
それは中世に描かれた絵で"死の普遍性"にフォーカスを当てており、死を前にしては、万人が平等であり、教皇でも、王でもそれは例外ではないということが描かれている。
実際に絵の左から、教皇、王、妃と権威順に並べられ髑髏と一緒にダンスを踊っている。
(元々の絵はその他にも50人ほど描かれ長さは30mにも及んでいたとのこと。)
元ネタとしては同時のいくつかの本で書かれていたものだった。
その背景には、”黒死病”と呼ばれ、14世紀のヨーロッパに大きな影を落としたペストの流行があった。この未曾有の流行病には権威などは関係なかった。
この絵から感じたこと、それは死への考え方や死そのものについて、数百年経った今も何一つ変わっていないのだな、ということだった。
Memento MoriやCarpe Diemといった言葉はYOLOなどの言葉に置き換わりつつも、伝えている内容は何ら変わりないし、寿命は伸びたが、死を避けられるようになったわけではない。
一番身近であり一番遠いような錯覚に陥るこの問題は今も当時も変わらない。
そうなのであれば、一層のこと、生きることについて何が合っても受け入れて生きていく方がより生産的で豊かな人生になると感じた。
宿泊先
Citybox Tallinn City Centre
旧市街中心まで徒歩で10分。立地はほどほどに良かった。
さすがIT立国というべきか、チェックイン/チェックアウトは全てエントランス入ってすぐの機械で行う。非常にスムーズだった。
レストラン
Restroran Olde Hansa
雰囲気抜群のレストラン。
店員さんは中世の洋服を着用し、室内では現地の音楽の生演奏があった。
チキンレグを注文。チキンももちろんだが周りに添えてある、備え付け料理(おそらく地元料理…名前を忘れた)が絶品で、ここのザワークラフトは今まで食べた中で一番うまかった
III Dragon
昼食で訪れた。
ここは名物女将が有名で、レストランのハウスルールが独特。
ルールを守らない客は強制退場させられるという面白システム。
ソーセージとホームスープを頼んだ。
料理の味自体は普通。ただ、もう一度女将に会いに行きたい。
Restaurant Rataskaevu 16
Google、Tripadvisorとも口コミが抜群に良かった。
評判通りかなりうまかった。
ハウスビールは非常にコクがあり飲みやすく、一日歩いた体に染み渡る。
料理はチキンフィレを頼んだ。
ソースがうまく(ちくしょう、何味か忘れた…)、チキンとうまく絡み合って極上だった。。
市内から空港へ
朝5時のフライトだったため、市内から空港はBoltを使った。
車で10分ほど走った所に空港はあり、アクセスは最高によかった。
与太話 in Estonia
IT立国の競争原理
タリンのバス停から市内に移動する際に、起業家と名乗る人物と出会った。
インド、パリにオフィスを持っているらしく、タリンにはプロジェクトベースで滞在をしているらしい。翌日飲みにいくことになり、その場でエストニアのビジネス状況などを聞かせてもらうことに。
彼が今進めているプロジェクトは、リジュビナイルという若返りに関するビジネスらしい。ある装置を使うと見た目を10歳以上若返ることができるというものだった。(にわかに信じがたいが…)
そんな彼になぜエストニアをこのプロジェクトの中心に選んだのかを尋ねると答えは2つ、
1. 優秀な人材が多い (特にITや機械工学系で顕著)
2. 比較的安価な物価
とのこと。
これにより、良いものを手頃な値段でという最強のプロポジションでサービスを提供できるようになるらしい。
果たして彼のビジネスが大成するのかはわからないが、エストニアが多くのユニコーン企業を生み出す一端を垣間見たような気がした。