2年間の休学をここに修め、学生に戻ります
お久しぶりです。
長らくnoteから離れていましたが、ちょうど節目の時期となりましたので、この2年間を振り返るnoteを書くことにしました。
このnoteを書く目的は
①自分の記録のため
②文章を書いて自分を再度奮い立たせるため
③このnoteを覗いてくれるくらいには自分と関わりのある人に自分の2年間を知ってもらうため
④同年代の生き方に悩んでいる人に自分の2年間を1事例として届けば個人的に嬉しいため
です。
*アイキャッチに使っている写真は4ヶ月ほど住んでいた世田谷区の桜新町で通い詰めていた街中華です。思い出のお店。
簡単な自己紹介
金子新太郎(22)
北海道大学教育学部3年。
株式会社O:(オー)のマーケティング職でインターン中。
計5社で長期インターンを経験。
特技は友達作りと無音くしゃみ。
趣味はカメラ、カラオケ、サッカー観戦、ご飯屋巡り。
2年間をダイジェストでまとめると?
私は大学2年生を終えたタイミングで休学を開始し、予定していた1年間の休学が終わったところでもう1年間の延長を決め、結局連続で2年間の休学をしていました。
そのため、この春、自分と同期だった代の友人たちは新社会人となっています。(素直に寂しいし、焦る)
そもそもなぜ休学しようと思い至ったのかというと、理由は2つでした。
①大学生である期間は最後の合法的?なモラトリアム期間だと考えていた
②海外インターンがしたかった
それぞれ説明します。
①大学生である期間は最後の合法的?なモラトリアム期間だと考えていた
例外はありますが、社会人になると週5のフルタイム勤務が当たり前になり、様々な活動が制限されてしまいます。
ひたすらにダラダラすること、急に旅に出て長期間不在にすること、お金にならないけどやりたいことをやってみること。
しかし、大学生はこれらのことをやっていても問題ないですよね?
「社会人=縛られる」というわけではないですが、学生に比べたら不自由になると思ったので、もし大学を休んででもやりたいことができたら、このモラトリアム期間(猶予期間)を伸ばそうと考えていました。
そう考えるようになったきっかけは大学2年生になりたての頃、自分が素敵だなあと思っていた大学生たちの休学率が異様に高いことを知ったときでした。
どうやら、私は一度レールを外れる経験をした人を素敵だと感じるらしいです。
②海外インターンがしたかった
2年生が終わる直前になって、いよいよ大学を休んででもやりたいことができました。
それは海外インターンです。
当時の自分はとにかく、自らを成長・ワクワクさせることのできる”何か”を探しており、やっと見つけたのがシンガポールにある日本人向けコワーキングスペースのインターン募集でした。
当時の自分のテーマは「日本でのありのまま・多様性文化の普及」であったため、さまざまな人種が共存するシンガポールのコワーキングスペースでのインターン募集が光って見えました。
たまたまこの会社が札幌の会社だったこともあり、渡航前に札幌本社でのインターンを経て、シンガポールに飛ぶ予定でした。
大学に通いながら海外インターンをすることは難しいと判断したため、「シンガポールでインターンするため」という理由で休学届を提出しました。
しかし、結局この海外インターンに参加することはできませんでした。
理由はコロナによるシンガポールの労働ビザのハードルが上がったためです。
これで晴れて、休学は決定しているけどやることが無くなった男になったわけです。
そこからの流れはこんな感じです。
休学1年目
シンガポールに行けなくなって、不貞腐れるかとおもいきや、すぐにやりたいことができました。
北海道の大学生を対象とした雑誌を作ることです。
シンガポールでは「日本でのありのまま・多様性文化の普及」に必要なものを学びに行く予定でした。
一方で、雑誌を作ることによってやりたかったのは「日本でのありのまま・多様性文化の普及」のスモールバージョンとしての「北海道の大学生へのありのまま・多様性文化の普及」です。
詳しくは青臭かった2年前の自分が書いた記事に詳しく書かれてあるので、もしよかったらご覧ください。
要するにやりたかったことは、北海道の面白大学生の多様な生き方を紹介することで、より多くの大学生が自分のやりたいことを見つけ、挑戦しやすくなる文化作りの一端を担うことでした。
思い立ったら即行動精神で、初期アイデア着想から1ヶ月後の4月に学生団体Knowsを立ち上げ、自分も含め初期メンバー5人を集めました。
その後、2ヶ月に1回のペースでミニ冊子を制作しました。
あと、インタビューもむっちゃしました。
これらのやってきたことの集大成としての1冊を作るべく、クラウドファンディングもやりました。
そして実際に作ったのがこちらです。
とまあ、ポンポンとうまくことが進んだように見せかけてますが、心境としては全くしっくりきていませんでした。
上記にあるような自分の世界観を実現する手段として雑誌が正しいという確信が持てませんでした。(今考えてみれば、自分のやっていたことに対して、根拠のない自信を持ち続けさえすれば、よかったんだなと思います)
結局、そこそこの知名度と20人もの運営メンバーにまで膨らんだKnowsは1年間きっかりの活動期間で解散することになります。
ただ、私は燃え尽きたわけではなく、むしろ新たなステージへの挑戦に燃えていました。
それは自分の世界観を実現させるより影響力の大きなサービス作り(起業)です。
起業環境としては慣れ親しんだ札幌よりも、東京のほうがいいだろうと考え、もう1年休学期間を延長し、上京することを決めました。
休学2年目前半
上京後は、まずスタートアップであるSpready株式会社でのインターンを開始しました。
学生起業を成功させるために自分が目指したい組織・事業の先取りをしようと始めたものでした。
また、東京での住居として選んだのは25歳以下の起業家が共同生活する「U-25起業家シェアハウス」でした。
*現在は改名&コンセプト変更があり、「ZEN HOUSE」になっています。
このシェアハウスで夜な夜なサービスや人生について語り合いながら、事業を作っていきました。
私が当時考えていたのは飲食店などの店舗ビジネスで働くアルバイト向けの日報アプリでした。
自分の世界観を実現させる手段として、楽しく働く人を増やしたいと考え、身近であった店舗ビジネスの労働環境に目をつけました。
働くことで得られるのはお金だけではありません。
成長ややりがい、いい人間関係なども働く上で重要な要素です。
そこで店舗ビジネスで働く人がお金以外の得られるものを最大化させることができれば、働く人も楽しく働けるし、店舗の人材レベルが上がって店舗は喜ぶし、それに伴ってサービス力が向上するためお客様も喜べます。
詳しい内容をお話しすると長くなるのでここら辺にしておきますが、起業家シェアハウスに入居してから4ヶ月ほど経ったタイミングで、そろそろ事業のギアをあげようと思い、インターンの卒業とシェアハウスの退去を同タイミングで行いました。
しかし、ここで想定外の出来事が起きます。
4ヶ月間の間、何度もVCの方や起業家の方、潜在顧客の方にアイデアの壁打ちは行っていたのですが、とある企業のCFOの方に投げかけられた問いがきっかけでアイデアを白紙に戻しました。
投げかけられた問いは「この事業にあなたの5−10年を捧げられるんですか?」でした。
この問いに向き合ったことは過去に何度かあり、覚悟は決めたつもりでした。
しかし、実際に収入源がなくなり、家もなくなった(シェアハウスを出た後は居候生活でした)ことで、この問いに向き合うことが怖くなったんだと思います。
結局私は、4ヶ月間取り組んできたアイデアをやめることにしました。
ご厚意でサービスの導入を快諾してくださった事業者さんやとにかく応援してくださっていた先輩起業家、VCの皆さんには本当に申し訳ないことをしてしまったと思っています。
2年目後半
ここからしばらくは闇期間でした。
アイデアは白紙にしたと言えど、起業するために上京したのでなんとか別のアイデアを見つけようと情報収集します。
でも、どれもしっくりこないし、そもそも気力が湧いてきません。
ちなみにこの頃はABABAというスタートアップの共同創業者の久保くん、たつやさん、そして暇そうだからとお仕事をくださったVMK代表の優大くんと共に共同生活させてもらっていました。
感謝してもし切れないくらい良くしていただきました。
*ABABAは就活生のための画期的なサービスなので就活生の皆さんはぜひ登録してみてください!
また、起業まっしぐらであった数ヶ月前に勢いで申し込んでいたB DASH CAMPにヒッチハイクで参戦したりもしました。
ただ、当然ですが、この時、私には起業アイデアがない状態なのでカンファレンス会場で話せる内容といえば、「新宿からヒッチハイクで福岡まで来ました!」くらいしかなく、何しに来たんだろうと虚しくなって会場を抜け出して昼寝したりしました。
どうしようもないです。
*カンファレンス自体は大変有益なもので、面白く、参加して良かったと心から思っていることは補足させていただきます。
この経験を経てやっと決心がつきました。
起業のためにアイデア探しをすることはやめようと。
かつて雑誌作りをしていたときや、日報アプリをしていたときに熱中できたのは自分がやりたい!取り組みたい!と思えていたものだったからでした。
しかし、この頃の自分は、その対象がないのにも関わらず無理矢理に捻り出そうとして負のジレンマに陥っていました。
仮にこの状態で良さげなアイデアが出てきたとしても、また中途半端に終わってしまう未来は見えている。
そう考え、無理に起業することをすっぱりやめました。
そして改めて自分が取り組みたいことを考えた時にやはり「楽しく働く人を増やしたい」という想いが揺るがなかったため、11月から組織開発スタートアップである株式会社O:(オー)にインターンとして入社することにしました。
マーケティング業務をメインに採用やセールスの部分など幅広く取り組ませていただいており、人間関係も非常にオープンなのでとても楽しく働かせてもらいました。
そしていよいよ2年間の休学期間を終える時期になり、先日東京から札幌に帰って参りました。
東京にいる間はプライベートでも本当に色々なことがありました。
中でも、東京でできた友人は本当にたくさんいるんですが、かけがいのない存在ばかりなので、改めてこれからもよろしくということはみんなに伝えたいです。
これからどうする?
大学に復学して3年生として授業を受けながら引き続きオーでのインターンを続けます。
ザ・スタートアップ環境の中で自分の能力を最大限引き上げながら、楽しく働く人を増やすという思想を実現できるよう精一杯やります。
また、プライベートにおいても様々なことに挑戦し、自分が追い求めたい面白い人間像に自分を近づけていこうと思っています。
最後に
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
同期に比べて卒業は2年遅くなってしまいましたが、びっくりするほど後悔はありません。
最高の休学期間だったと思います。
このnoteを書き終えたらいよいよ本当に休学修めなので、学生としての残り2年間に切り替えます。
引き続きよろしくお願いします!
番外編「東京住居話」(地方から上京を考えている大学生へ)
上の画像を見ていただければわかると思うのですが、格安で東京に住むことは可能です。
ただし条件が3つあります。
①情報収集をしている
自分の興味ある分野があって上京する場合は、同分野の人たちのSNSの発信を見たり、直接会いに行って話を聞くくらいのレベルで情報収集してください。
②フットワークが軽い
私はたまたま北大から東京に来ていた友達と飲んだ時に、フットワーク軽く彼女が東京滞在中に泊まっていた家に遊びに行ったことがきっかけで、3軒目の居候先の家主と出会えました。
フットワークが重かったらこの出会いはなかったのでフットワーク軽くて良かったと心から思っています。
ちなみに彼ら(男性2人組)はクリエイティブチームのMEIALUAとして活動しており、めちゃくちゃイケてるのでぜひフォローしてあげてください。
③個室なしを許せる
東京で安く住みたいのであればここだけは我慢した方がいいと思います。
個室さえ我慢できれば意外と選択肢は広がっています。
もちろん、運もありますし、何よりこの1年関わってくださった方々が本当にいい人ばかりだったので東京で格安の住居で暮らすことができたわけですが、上3つを実践すれば再現性は担保できると思います。
地方から上京を考えている大学生がいれば、ぜひ参考にしてみてください。