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鬱の解体 #4


今回は、鬱の解体というより、躁の解体かもしれない。

前回の診察から1週間が経ち、2回目の診察に行ってきたところだ。
1、2日前からの状況を伝えたところの反応はこうだった。

「軽い躁状態にあるみたいだね、処方箋を増やしましょう」

案の定だった。2日前から締め切りが近くなってきた制作物に着手して、あれよあれよとのめり込んでしまっている。
これ以前は、深夜3時くらいには就寝して8時くらい起床。穏やか、または虚無に近い気持ちを抱えて身体を起こし、1時間程度散歩をする。そんな毎朝を迎えていた。
ところがどうだ、この2日間で睡眠は1時間から3時間までしか取れなくなり、かつそれでなんら支障が無いのだ。
起き掛けに身体がダルい事もなく、スパッと散歩して、帰ってきたら制作を進める。よく笑う事が出来るし、ワクワクもする。歩く時も少し早足になっている気さえする。
暇つぶしにやっていたSwitchのゲームも全然やらなくて平気だ。
「あ、これじゃん」自分でも明白だった。

ただ、やはり躁の状態はかなり強いもので、何においても万能な感覚というのは、かなりの鬱になっている自分を知っているわたしからすると、その鬱を乗り越えていける!と確信するくらいには助かっているのも事実だ。

処方された薬は、以前と同じく安定剤。それと併せて、波をやわらげる薬。躁状態では睡眠を取るでもなく活動できてしまう事があるので、もしもの時用の眠剤。

正直、不安というか悲しいというか、表現が難しい感情を抱えた。

だってわざわざ、「何でも出来ちゃうぞ〜」な状態を抑え込む事をするわけだから、「躁になっても、やりたい事ができないかもしれない」そう考えて、診察室を出たわたしは少し早くなった動悸を鞄と一緒に抱え、流れてしまうかもしれなかった涙を瞼の裏に感じながら、何かから隠れるように小説を読む事しかできなかった。

実際躁状態というのはかなり「イケイケオセオセ」な状態で、だいぶ溜めてしまった両親への連絡を、メッセージではなく電話をかける事にした。これってかなりすごい事なんです。
今の状況、これからどうするかをどう考えているのか、そんな事を話した。
久しぶりに声を聞いた二人はどこかが丸くなったような印象だった。
そのあと姉とも連絡した。親の事、また私たちの事は以前から姉に話すタイミングがあったから、色々話をした。「今度は、私たちが親を愛してあげる番なのかもしれないね」「感情は、全方位に適量で出ないと意味がないんだ」「家族みんな、それぞれに不器用だ」そんな話をした。


ここからは心療内科に赴いた翌日な訳だが、処方箋のおかげかかなり落ち着いてはいる。ちゃんと寝たし、活動的すぎるわけでもない。躁状態というものは、かなり強い。自分全体を20%強くするバフ魔法みたいなものだ。ただそのきっかけが制作のみという訳でも実はないところや、また躁状態が収束した後に当然訪れる深い鬱の状態。この谷は本当に深くて暗い。またあそこに行きたいとは、正直思わない。
薬を飲む事で突き抜けるような活力が多少なくなったとしても、谷に落ちないのなら良い事なのかな。少なくとも今の自分にとっては。


さて、前回の終わりで、読んだ本の話をしようかと書き残した訳だけれど、今回はできそうにありません。ごめんなさい。
今読んでいるのは、ジェズイム・P・ホーガン氏の「星を継ぐもの」です。
僕は結構SF小説が好きかもしれない。話の進み方に若干ミステリーチックな部分を挟んでいるのもとてもおもしろい。
きちんと読み切ったら、その時に書こうと思います。小説をきちんと読むのは数年ぶりなんだ。

次回は何を書こうかな。今回は未定のまま投げてみる事にする。


躁状態のエネルギー、タッパーとかに保管して、鬱状態の時に食べたりできないかな。それなら年中健康でいられる気がするよ。

240809

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