見出し画像

鬱の解体 #2

前回の続き。健康に生きるって案外難しいのかもしれないという話。

計画的に生きる回路について。

計画的に生きられないというのは、その時その時の半ば衝動で行動する事と思う。
なんでも後回しにする自分の性格。これを壊すにはどうしたら良いか。
いくら計画を練ってみようと、その通りにできる程自分は自分に律儀ではない。
なんといっても自分の事だからどうとでもいいわけが出来るからだ。

わたしは自分の事を信じていない。


実は、人生で初めて心療内科というものに罹ってきた。
仕事の話より、自分の好きな事の話よりも何よりも、誰にも話す事ができない心象の事。
省みてみると成人する頃から今までの数年の間、うっすらと谷底を歩くようであったと思う。たまに山肌を登って朝日を拝むような。

もし「うつ病なんかじゃないよ。もう少し頑張ってみて。」なんて一蹴されたらどうしよう。人から見たらまったく大した事がない悩みの積み重なりでしかないのではないだろうか。ただの甘えだと突き放されてしまうのはでないか。そう思う心があるからこそ、心療内科の先生の言葉を聞くのは怖かった。

これまで、自分の中で何度も何度も反芻した事。それを話すような、半分は自己紹介の時間だった。

罹る少し前に、「もしかしたら、自分ひとりでどうにもできない問題を、誰かに協力してもらう事で解決したいのかもしれない」そう思った。
なんでも後回しにする癖、過食、不眠、音信不通、漠然とした脅迫観念や焦り。
全部、自分ひとりではなあなあになってしまう。壊れたらそのまま放っておけば、壊れたその自分で立ち上がるまで放置してしまう。律する事はそう簡単ではない。
どこかに遊びに行きたいとして、自分ひとりだったらまた今度でいいやとなるけれど、友達が行くなら行くとなる事は少なくない。


さて、処方されたのは安定剤。
睡眠導入剤ではないが、精神を抑える効果が期待されるものらしい。
今のところ大きく効果を感じているわけではないけれど、1日1錠服用する。
薬の効果それ自体よりも、1日1回決まった事を繰り返すという事のほうがもしかしたら自分には効果があるのかもしれない。
なんといったって自分は不安定。自分を崩していくのが癖になっているから、こういう外側の圧力はありがたいものだ。

ふと思ったが、近頃の自分は楽しい事をあまりしていない。ゲームをしてみたり、動画をみてみたりはするけれど、それはかなり瞬間的なもので、終われば消えてしまう。
以前はもっと、日を跨いでも下火が残るようなものがあったように思う。
きっと、制作に対する意気込みがかわってきている所為かもしれない。

そろそろ何を書きたいか分からなくなってきたので一旦おしまい。

今度は制作活動について書いてみようかな。

240803

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?