文化村の破壊についての簡潔な報告
破壊とはコスモスがカオスとなることで、復興とはカオスがコスモスとなるものなのか。普段の世界での論理では辿りつきえないことが文化村を通じて呼び起こせる
学習院高等科にはBunkamuraと呼ばれる文化部室が集まるところがある。床は段ボールに覆われて、世代を超えた無法地帯感を生み出す壁に造られた大きな傷はコンクリートをも穿つ強さを感じる。部室のドアとドアの間の壁はスプレー缶で描かれた知性のかけらも感じない単語の羅列がされている。この混沌とした空間が私たちの伝統のBunkamuraであった。
二年前にはアーチェリー大会が開催され、多くの熱狂を博したBunkamuraは現在自治権を失い総務委員の清掃公約の元にさらされた。その結果生み出されたのがBunkamuraの本来の姿の欠如である。これは総務委員の善意で生み出された結果であり秩序を取り戻すことは公共の福祉を生み出す。しかしながらそこに自生するもの達の現在の状況からの変化に対する嫌悪感は計り知れない。単純な物質が従うルシャトリエの原理に人間が当てはまらないわけがあろうか
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