79.豊かさは「いまここ」にある
先日、香取神宮に参拝してきて以来、ちょっとした瞬間に「豊かさ」を感じることが多くなった。
このことは、香取神宮に行ったことで生まれた効果なのか、これまでの潜在意識の書き換えに効果が出たのか、あるいは、我々の集合意識に何かしらの変化があったことからなのか、その理由は分からない。
とはいえ、日々の小さなことに「豊かさ」を感じられるようになれたことは、歓迎すべきことである。
我々は、今この瞬間に「豊かさ」の中に包まれている。
どこかに行くのにも移動手段は多彩にあるし、欲しいと思えるもののほとんどは手に入れることができる。
情報だって、ネットを使えば大抵のことはすぐに手に入れることができるし、食べ物も豊富にあり、この日本においては飢えるということは起こりにくい。
何かを表現したいと思えば、それを自分なりの形にして誰でも簡単に発信することができる。
こういった環境が、当たり前のように存在し、これらを誰もが当たり前のように使いこなせるということは「豊かさ」の現れといっていいだろう。
我々、現代人は、先人たちのたくさんの努力の累積の上に存在していて、いわば最先端の生活を送ることができている。
もちろん、現状に不満を持つことも多々あるけれど、そんな不満も「いまここ」にある豊かさに立ち返ることができると、すっと消えていくものである。
とはいえ、現代人は「いまここ」にある豊かさに感謝するということを、生活の中であまりすることがなかったりする。
その理由はというと、現代の日本人は「いまここ」にある豊かさに感謝するということを周りから教わる機会が圧倒的に少なくなっているからだ。
精神的な教えが代々伝えられるということが、現代の日本では衰退している。
これは、日本の宗教の役割が衰退したことに原因があるといってもいいかもしれない。
おそらく、日本の宗教性の衰退は、明治維新の欧米的な思想の流入や第二次大戦後のGHQの指導が関係しているといっていいだろう。
あるいは、近代科学の発展が目には見えないものごとに畏怖の念を持たせることを奪ってしまったのかもしれないし、現在の資本主義のあり方がそうさせたのかもしれない。
現代人が「感謝の気持ち」を持つことの大切さを教育されないということは、それが結果的に人の自我を強めることになっている。
感謝の念は、自分以外の人や物事に「ありがたい」と思うことであり、自分は、自分以外の人や物事によって支えられていると気づくことである。
「ありがたい」という思いは満たされているという思いであり、そういった満たされているという思いが「幸せ」な心を生み出す。
人は求めてばかりいては、いつまでたっても幸せにはなれない。
目の前に吊るされたニンジンを追い求めていている限り、空腹感は増すばかりで、やがて疲弊してしまう。
もちろん、求めることで人は進化できるようになっているけど、求めてばかりでは、いつまでたっても満たされることはない。
しかも求める気持ちが強すぎると、人の自我性を強めることになる。
自我性が強まれば、意識は分離の方に流れていく。
現代人は、「感謝する気持」ちより、「求める気持ち」の方が強すぎるのかもしれない。
そういった意味では、求める気持ち半分、感謝する気持ち半分くらいが丁度いいといっていいだろう。
今ある豊かさに感謝しながら、今よりも少しよい状態を生み出していく、それくらいで生きていくのが心地よいのかもしれない。
今という瞬間はどんなときでもニュートラルである。
人もまた、ニュートラルな状態なときほど、物事が上手くは運んでいくものでもある。
ニュートラルな世界にニュートラルの状態で生きれば調和が保たれる。
ブッダが「弦は張りすぎても緩みすぎてもいい音は奏でられない」といった比喩を使っているように、我々もニュートラルな状態になればなるほど、力むことなく自然体で物事に対峙できるようになっていく。
現在の生活は、すべて「いまここ」にある豊かさに支えられているわけであり、まずは「いまここ」にある豊かさに感謝の気持ちを持ちながら、その中で自分はこうしたい、ああしたいと思うことを実践していくのが理想の状態なのかもしれない。
ベースはいつだって「いまここ」の豊かさにある、ということを忘れていはいけない。
この今という瞬間に、あたりを見回せば豊かさで満ち溢れている。
身の回りの豊かさをしっかりと認識することができれば、それだけで自分を肯定できるようになっていく。
その一方で、「ない」という思いばかりを強めていると、自分の中の枯渇感を増していくことになる。
「前へ前へ」がこれまでの時代のトレンドだったかもしれない。
しかし、これからは「今、今」に変わっていく。
「前へ前へ」は、枯渇感を生む意識であり、「今、今」は充足感を生む意識である。
「前へ前へ」は物質主義のあり方であり、「今、今」は精神主義の生き方になる。
我々は、今、物質主義のあり方か、精神主義のあり方か、どちらの道を選んでいくかの分岐点に生きている。
「今、今」の精神主義を選ぶことができることができれば、人は慌てることなく、ニュートラルな自分で生きていけるようになっていき、一人ひとりが自分の音を奏でられるようになっていく。
ニュートラルな状態が「幸せ」の状態でもある。
「いまここ」にある豊かさは、いつでもニュートラルであり、このニュートラルさに感謝することができると、人は心地よく過ごせるようになっていく。
人は誰もが、心地よく生きていきたいと思うものであり、心地よさは「ありがたい」と思えることで生まれる意識でもある。
今を肯定できないまま前に進めば苦しくなる。
当たり前のことに感謝することは、今を肯定することであり、今に肯定ができてはじめて人は前へと進めるようになる。
普段、何気なく感じる居心地の悪さは、「いまここ」にある豊かさに気が付くことで解消できる。
一人でも多くの人が、「いまここ」の豊かさに感謝できるような精神性を持てるようになれば、我々は居心地の良い社会を生み出せるようになるだろう。
それができるかどうかの分岐点が「いまここ」にあるのかもしれない。
「物質が先、精神が後」の時代から、「精神が先、物質は後」に変われば、人は落ち着いて過ごせるようになっていくはずなのだ。
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