私が私の幸せを観測するとき、それが私を幸せにする
少し前までは、頑張って目的を達成することで幸せを手に入れるというのが、幸せになるための方法論だったように思う。
しかし、これからはリラックスして高い波動を出すことで、幸せになるというのが一般的になっていくことだろう。
こういった変化が生まれた背景には、この世界には目には見えない法則があるということが世の中に浸透してしてきたということがある。
たとえば、量子力学以前の物理学では、物質の視点でしか物事を捉えることができなかったため、目に見える法則だけで物事を考える傾向にあった。
しかし、量子論が出現し、目には見えない素粒子などの振る舞いが観測者の思いに左右されるということが分かってきていて、人の思いという目には見えないことの中に法則性があり、それが原因となって現象を生み出しているということを多くの人が理解し始めている。
また、心理学でも個人の思いや人の集合意識が、何かしらの現象を生み出しているといったことも理解されるようになっていることも影響しているという点も上げられるだろう。
もちろん、これらのことは、まだまだ一般的ではない。
しかし、こういった目には見えない作用が現象となって生み出されているということの理解は、今後、ますます広まっていくはずだ。
これまでの辛い思いを乗り越えて目的を達成すれば、幸せを手に入れることができるという考え方は理解しやすい。
だから、以前は誰もがそういった考え方を持っていた。
とはいえ、実際のところでいうと、辛い思いを乗り越えて目的を達成するという手法は脱落者を生むものであり、目的を達成できる人の方が少なかったりする。
辛い思いを乗り越えて頑張るという行為は、楽しさが含まれていないないため、それを長く続けることは難しい。
また、無理をして何かをし続ければやがて心身に負担が掛かかってしまい、何かしらの不調が生まれてしまう。
頑張って何かを達成した後に、燃え尽きてしまうということもあるだろう。
もちろん、頑張ることが主流だった時代でも成功する人はいる。
しかし、そういった状況の中で成功していた人は、実は頑張っていたのではなく楽しんでいた人なのだ。
たとえば、勉強ができる人は頑張っていたのではなく、勉強そのものを楽しみ学ぶことが好きな人だったりする。
また頑張ることが主流となっていた時代は、楽しんで勉強している人のことを、周囲が「あいつは頑張っている」というような形容をするため、楽しんでいる人のことを頑張っていると捉えてしまっていた。
楽しむと頑張るは、意味合いが180度異なる。
楽しむことを頑張ると表現してしまうと、誤解が生じてしまう。
人は好きなことであれば夢中になることができ、頑張らなくてもどんなことでも自然と吸収してしまう。
しかも、自分の好きなことであれば、ポジティブな思いを発することができ、それが目には見えない働きを生み出すことになるため、自分が思い描くような現実を生み出せるようになっていく。
もちろん、好きなことをしていれば、心にも身体にも負担が掛かることもないため、健康な状態を保ちながら長い期間にわたって、それを続けていけるようになる。
好きなことをするということは、無理をすることなく自然体でできるということであり、その結果、心地よい思いを発することができる。
そういった心地よい思いを出し続ければ、心地よい現実を生み出すことができる。
反対に、身体に負担を掛けながら無理をして何かをすれば、重い思いを出すことになる。
心地よい思いとは、ポジティブな波動と言い換えることができ、重い思いはネガティブな波動となる。
つまり、力むことなく自然体で楽しんで出来ることをしているとポジティブな波動を出すことができるようになる。
ポジティブな波動を出している人は、その存在が軽く爽やかさを感じさせる。
反対に重い波動を出している人は、どことなくどんよりした雰囲気を醸し出していたりするするため、どうしても近寄りがたくなってしまう。
こういった波動の軽さや重さの違いが、人間関係に反映されるのは当然のことでもある。
爽やかに生きていれば人間関係がよくなっていくものだし、周囲の協力も得やすくなる。
そういった意味でも、普段から自然体で楽しんで出来ることをして、心地よさの中で生きていけるようになると人は幸せに近づけていけるようになる。
では、どうすれば軽くて心地よい波動を出せるようになるかというと、自分の特性を知って、無理のない行動ができるようにしていけばいい。
むやみやたらに明るい軽い波動を出していればいいかというと、そういうわけではない。
無理をして明るく振る舞えば、それはいずれストレスに変わっていく。
しかし、自分は何をすれば楽しめるか、どういう環境に身をおけば自分を活かせるようになるか、そういったことを理解し行動に移すことができれば心地よくて軽い波動を出しながら、無理をすることなく生活することができるようになるだろう。
僕は、いろんな経験をした結果、個人で何かを創作していった方が自分を活かせるということを理解できるようになった。
こういった理解が人生の分岐点になったし、自分を生きやすく活かしていく術を得ることができ、現在は心地よく生活できるようになっている。
もちろん、自分の活かし方は人によって異なるため、その方法は千差万別といっていい。
しかし、ひとり一人のやり方は千差万別だったとしても、自分の思いが現実を生み出しているということは誰れにでも共通している。
いずれにせよ、「好き」を「情熱」に変えて、日々を楽しんで生きていけるようになれば、無理をして頑張る必要もなく、幸せを実感しながら生きていけるようになるだろう。
私が観測することが現実を生み出す。
世間的な幸せの定義はあてにしない方がいい。
幸せかどうかの定義は、自分で創ってそれを実践していけばいいのだ。
幸せは何かになるのではなく、どいう生きるかで決まる。
今を心地よく楽しんで生きられるようになれば、それが幸せの状態といっていいだろう。
私の思いが、私を幸せにする。
私の思いを大切にして生きれば、人は幸せになれる。
私にとっての幸せをどのように観測するかで、幸せを生み出すことができるのだ。
「100%そうなる」と思えることは、必ずそうなることだろう。
50%の思いの確率は半分。
無理だと思ってすることは、上手くいくことはない。
自分の思いの度合いによって、現実が生み出される。
自分の人生をどう観測するかで、現実が創り出される。
このことがもっと世の中に浸透していけば、この世界の行動様式が変化することになるだろう。
私が私の幸せを観測することで、それが私の幸せを生み出す。
私の幸せを日々実感してそれを積み重ねていけば、幸せの観測を100%に近づけていけるようになる。
人は、幸せをたくさん観測することで、幸せな生活を送っていけるようになる。
次回は、24日(火)に更新します。