丁寧に生きれば愛が生まれ優しくなれる
先日の情熱大陸で間寛平さんが次のようなことを語っていた。
この言葉を聞いて、こんなことを考えた。
他者の優しさを感じ取るとき、その人の内面を伺い知ることができる。
優しさは、今、この瞬間を丁寧に扱うことで生まれる行為であり、そういった丁寧さが人柄となって現れることだろう。
逆に慌てていたり急いでいたろすると、行為の一つひとつが雑になる。
あるいは、雑に何かをしているとき、心が今にないということができるし、その行為を望んでしていないから雑になると考えることもできる。
慌てたり急いだりするのは、気持ちが未来にとらわれているということだし、今していること興味を持てなければ丁寧さが失われるのは当然のこと。
その一方で、楽しいときを過ごしているとき、この時間がずっと続けばいいのにと思う。
そういった思いの中で何かに夢中になって楽しむことができていると、行為の一つひとつが丁寧になっていく。
好きなことは丁寧に行えば行うほど満足感を得ることができるようになる。
人はそういった満足感を求めて生きているといっていいだろう。
しかし、雑に何かをするのは早く済ませたいという思いがあるからであり、そもそもその行為自体に興味がないから早く済ませたいと思ったりする。
では、早く済ませたいという思いを成し遂げ興味のないことをやり終えたあと、人は何をするのかというと自分が楽しいと感じることをするものだ。
人は誰もが自分の好きなこを夢中になってやっていたいという思いを持って生きていている。
だから、何かに夢中になっている最中は行為そのものを味わうようになる。
丁寧にやろうとする思いの奥に愛おしいという感情が存在し、そういった愛おしさが人を優しくさせる。
そういった優しさのある行為は、自然と他者へと伝わっていく。
愛情を持って目の前のことに取り組み優しさとともに生きる。
これが我々の本来の姿であり、人が優しさの中で生きるとき自分にも他者にもいい影響を与えることになる。
そうやって誰もが愛情を持って優しさの中で過ごしていけば、それだけで優しい社会を生み出すことができるはずなのだ。
人は自分の喜びと一致しして生きるとき、愛情から生まれる丁寧さと優しさで生きるようになる。
話を冒頭に戻すなら、寛平さんのいう「心の優しい人」は本当にお笑いが好きなのだと思う。
だから、その人の笑いは誰も傷つけることはない。
しかし、「心の優しくない人」は、心からお笑いが好きではないのかもしれない。
もしかするとその人は、お笑いという場を利用して他の目的を達成しようとしているのかもしれない。
目的がお笑いになければ、人を傷つけることになる。
今の社会は、心を優しくして生きるのが難しいのかもしれない。
現代社会は、本当にやりたいことができない構造になっていて、その結果、人は優しさを失い愛情が希薄になっていると考えられる。
ただ、そんな社会の中にあっても自分の喜びを軸に定めて生きていけるようになれば、人が持つ本来の優しさの中で生きていけるようになるだろう。
本当に自分がやりたいと思うことを、心から愛情を注ぎ夢中になってするようになれば、心優しい自分で生きていけるようになる。
自分の喜びを最優先に生き、その喜びに愛情を注ぎ、その愛情から生まれる優しさとともにあれば、自分も他人も傷つけることなく生きていけるようになるだろう。
現在、成功している人の姿を何名か浮かべてみて欲しい。
彼らが成功している背景には、彼らが自ら望んでいることをしているという共通点がある。
自分が夢中になって楽しんで出来ることをしていれば、成功するのは当然のことといっていいだろう。
我々は、自分の好きなこと楽しいと感じることを丁寧に行っていくことに喜びを感じる生き物である。
だから、好きなこと楽しいと感じることを可能な限り優先して生きていけばいい。
丁寧さは、愛情によって生み出される。
好きなこと、楽しいことには愛情を掛けることができる。
人は常に愛情を感じて生きていたいし、愛情を掛けて生きていきたいと心の奥で思っている。
それが、人間の本性といっていいだろう。
好きと感じることをしていると、次から次へと新しいアイデアが浮かんでくるものだし、そういったアイデアを実行し形にしていくことで、自分の道を創り出すことができる。
例えそれが前人未到の道であったとしても、そんなことはお構いなしに自分の喜びを追い求めて、日々、楽しんで生きていく。
喜びを感じてその対象と向き合い愛情を持って丁寧に行えば、どんなことでも上手くのは自然なことだ。
自分の喜びを体現しながら今を大切にして生きれば、誰もが成功者になることができる。
真の成功者とは、今に心を込めて生きるられるようになることなのだ。
そうなるためにも、自分がやりたいと思うことを可能な限り優先して生きていく。
自分がしたいと思えることを優先して生きていけば、それが生活の軸となり、その軸を太くしていけばやがてそれが柱となりライフワークとして生きていけるようになるだろう。
自分の喜びを優先し、その中で生まれるアイデアをどんどん実践していけば自ずと道が開かれる。
喜びのエネルギーは我々が思っている以上にパワフルであり、そのパワフルさを使っていけば、十分に自分の道を創り出すことができる。
そうやって多くの人が喜びのパワーを使い、愛情を感じながら丁寧に優しく生きていけるようになれば、この世の中の仕組みに変化を起こすことができるだろう。
喜びを感じて生きるとき、自分自身と一致する。
喜びを感じているとき、人は主人公として生きることができる。
自分自身と一致してこの人生の主となって生きれば、愛情から生まれる丁寧さと優しさの中で生きていけるようになるだろう。
そして、日々、喜びを感じながら自分自身を生きるとき、この世界の美しさを知ることになる。
美しさの中に優しさが存在している。
優しさは愛の一部であり、人が愛を知るとき、この今を美しさとともに生きることになる。
この今を丁寧に生きれば、そこに愛が生まれ人は優しくなれる。
優しさのある人の行為は、他者を傷つけることはない。
優しさのある時代を創っていく、それが進化した人類の姿といっていい。