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探求は、探すことより究めることの方が楽しい

人は自分で考えて決断し、行動できることに楽しさを感じるのではないかと思う。

思考→行動→結果→思考→行動→結果というサイクルをどんどん繰り返していくことで、次から次へと探求心を増していけるようになるだろう。

ふと思いついたことを瞬時に行動に移して、実際に経験していけば何かしらの答えを得られるようになる。

そうやって、探求心に沿って行動していくと、物事を具現化していく力がついていくものだし、行動したことで得た答えをもとにまた新たな発想が生み出すようになっていく。

もちろん、行動してみた結果、それが自分には合わないとか、つまらないと感じることもあるだろう。

しかし、そういった結果を得たとしても、それは自分にとって必要・不必要を知ることができるようになるから無駄なことではない。

むしろ、そういった取捨選択の経験が自分の進むべき道を決めてくれるようになるものであり、自分の「好き」や「楽しい」を知る機会となる。

そういった探求心を満たしていくことのできる人生が、幸せな人生ということもできるだろう。

しかし、これまでの自分の人生を振り返ると、自分の考えて行動し得た結果から新たなチャレンジをするという機会は、案外、少なかったように思う。

特に学校や職場というような場所では、自分の思いだけで突き進むということが難しいため、そこにもどかしさがあった。

自分の思いに従って前に前にと進んで行きたいけれど、集団で生活していると、誰かにお伺いを立てないといけないし、お伺いをした結果、自分の思いとは異なる答えが返ってくることの方が多く、ブレーキを掛けられる場合が多い。

幼少期から青年期にかけては、親や先生の許可が必要だったし、仕事を始めれば常に上司からの可否を得なければならない。

組織に属していると、そこには必ずルールがあり、そういったルールが行動に制限を掛けることにもなるため、自分のペースで集中してできる時間が、あまりにも少なすぎるように思う。

相談できるならばまだしも、可否だけの答えが返ってくることの方が多かったりするから納得感を得ることができず、それがストレスになる。

そういった意味では、現在の僕の生活では誰かにお伺いを立てることなく、自分の考えをすぐに行動に移せる環境にあるからストレスもないし、幸せを実感できている。

全ての行動を自分の判断でできるようになるということは、幸せのひとつの形といっていいだろう。

冒頭に書いたように、人間は思ったことを行動に移して具現化し、そこから新たな思いを生み出していきながら行動していきたいと思うもの。

しかし、思いついたことを行動できない環境の中にずっといると、物事を具現化していく力が弱くなっていくのではないかと思う。

僕個人の傾向としては、できるだけ自分で考え、自分で調べて行動し、のびのびと自分のやり方でやっていきたいという思いが強い。

それが今、実際にできるようになっていて、休日も平日もなく同じような毎日を楽しんで過ごせるようになっている。

では、なぜそうふうになれたかというと、勇気を出して個人で生きると決めたから。

自分の思いに従って生きようと決めたことで、人生の流れを変えることができるようになった。

加入していた貯蓄型の生命保険を解約したり、それまで貯めたお金を切崩して、これまで何とかやってこれた。

詳しいことは割愛するけれど、金銭面でピンチが訪れるとどういうわけか、臨時的な収入が入ってくることもあった。

自分が楽しんで出来ることを見つけることができると、目には見えない力が働き出すようになるもの。

心地よい感情で過ごしていると、心地よい現実を創れるようになっていく。

もちろん、目には見えない力は、逆の場合でも働いているから、自分の意識が常に大切になってくる。

明確な目的もなく、ただ組織の中に存在していると、どうしても受け身になってしまい辛く感じるものだし、そういった思いがそのまま新たな現象を生みだしてしまう。

大切なのは、自分の目的や意思をちゃんと把握して受け身になることなく生きていけるようになること。

だから、組織であろうと個人であろうと関係なく、目的や意思をちゃんと把握していけば、自分の思いを具現化できるようになっていく。

個人で生きるより、周りの協力を得ながら自分の思いを具現化していったほうが、規模の大きなことを達成できるようになるし、喜びを分かち合えることもできるだろう。

いずれにせよ、自分の「好き」を明確化していくことは、自分自身を生きやすくさせることでもある。

自分が好きと感じることは、次々と新しいアイデアが浮かんでくるものであり、そういった対象と出会うことができれば、自分に新しい経験を与え続けることができ、それらを究められるようになっていく。

そして、そういったサイクルの中で生きられるようになると、人生の潮目を変えられるようになって、いい循環の中で生きていけるようになり、目には見えない力をプラスの方向で味方にすることができるようになるだろう。

探す時期を終えると、究める時期に入ることができる。

様々な対象の中から自分にあった物事を見つけ出し、それを追求し究める時期に入ることができれば、迷うこともなくなり前に進んで行けるようになる。

そうなれば人生の潮目が変わり、自分の思いに沿って生きていけるようになるだろう。

迷いがなくなると、生きるのが楽になる。

そういった「楽」の加減が、人の心を軽くさせる。

軽くなれば風に乗って飛べるようになる。

人生の目的となるような対象を探すことは大変だけれど、それを見つけることができたなら、あとはそれを究めながら楽しんでいけばいい。

迷いがなくなればなるほど、目には見えない力の働きを強くできるようになるから、自分の世界を創造しやすくなる。

楽しむという意味での人生は、自分が主体的になってできることを見つけ終えた時点から始まるものなのだ。

探求は、探すことより究めることの方が断然楽しい。

探すのではなく究める、そういったフェーズに入って行く。

これからは、そういった人が身の回りに増えてくるのではないかと思う。


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