95)バランスは上昇と下降を繰り返しながら取っていく
昨日、「力を入れすぎず抜きすぎず、バランスを取ることが難しい」という記事を書いた。
その続編として、今朝「統」の字を書き、つぶやきにこう書いた。
図にするとこんな感じ。
この図を立体にするとどうなるか?
円錐になると考えることができる。
円錐の頂上が円の中心にとなる。
円錐の頂点とは、高い位置からの視点になり、物事を普遍的に観られる場所に立つということになる。
つまり、円の中心(頂点)に立つことができればバランスよく物事を見ることができるし、物事を俯瞰で見られるようになるということでもある。
たとえば、何かをしていて、あまりいい結果が出ていないと感じたとき、俯瞰で物事を見て、「上手くやろうとして力が入りすぎているな」とか、「気持ちが入っていないから、力を入れた方がいいかな」とか分かるようになる。
俯瞰で見れる場所に一度立って、行為に修正を加え主観的立場で作業をする。
そういった主観と客観を繰り返しながら、円の中心軸となる点を見つけていく。
そうやって、主観的な見方と客観的な見方を何度も往復させながら、円の中心点を見つけていくことで精度を高めていく。
この精度を高めていく反復作業によって「技」が生まれ、何度やっても同じような結果を導き出し再現性を高めていくことが「技術」となっていく。
何か一つのことを身に付けるには、反復作業が欠かせないし、主観的視点と客観的視点の両方をバランスよく持ち合わせていく必要があるといっていいだろう。
冒頭の「力を入れすぎず抜きすぎず」を会得するには、反復練習が必要になるし、ただ反復すればいいというのではなく、その都度、俯瞰で物事を観た上で円の中心点がどこにあるかを、確認する必要があるといっていいだろう。
この主観と客観の往復に欠かせないのが観察力であり、観察した結果が「氣づき」となり、この「氣づき」によってバランスを取れるよう試みていく。
陰陽を表す太極図は白色が上昇を表し、黒色が下降を表すといわれていることから、上昇と下降を繰り返すという作業がバランスを保つという意味があると考えてもいい。
ちなみに、心電図などで計測される「波」は上昇と下降の様子を時系列で表したものであり、この波型に逆の波形を重ね合わせてみると、DNAの螺旋構造のような形になる。
もしかすると、陰陽太極図にはいろんな意味が含まれているのかもしれない。
いずれにせよ、我々がバランスの良い場所を探しあてるには、上昇と下降を繰り返す必要があり、その上下動の中から円の中心点を見つけ出す作業をしているのかもしれない。
しかも、こういった上昇・下降という経験は、日常の小さなことから霊的な進化・成長とった壮大な物事にも通じていて、そこには大小という違いがあるにせよ、その構造はフラクタル(自己相似性がある)とってもいいかもしれない。
話を戻すと、中心点を探しあてるために上下動する運動は、労力を必要とする。
労力を掛けるということは、エネルギーを使うということでもあるから、やはり、楽しめることでないと継続することが難しいといっていい。
楽しめるということは、簡単すぎてもいけないし難しすぎてもいけない。
人は、上手くいったりいかなかったりすることに面白さを感じるものであるといわれている。
「面白さ」は、その人の価値感や経験値、何をするかによって異なるけれど、難しすぎたり簡単すぎても継続できないもの。
「面白さ」は「難」や「易」の平坦な場所では感じられなかったりするものであり、「面白さ」にも上昇と下降があるといってもいいだろう。
我々は常に上下動を繰り返しながら、心地よいポイントを探しながら生きているといってよく、そのポイントを探すことが楽しみであり、結果よりも、そういった試行錯誤の過程の方が楽しい経験なのだといってもいいかもしれない。
心地よいポイントを見つけ、しばらく、その状態を見つけることができたなら、また新たなポイント探しを行っていく。
そういったポイント探しを通じて、我々は成長していきながら、物事を俯瞰で観られるように進化していくのではないかと思う。
俯瞰で物事を観るということは、抽象度を上げるということであり、抽象度が上がれば上がるほど、物事を広い視野で見ることができるようになる。
地球を外から見た宇宙飛行士は、地球に「愛」の感情を抱くという。
「愛」という言葉は抽象度が高いため、言葉の意味を理解するのは難しい。
しかし、人の意識が上がっていけばいくほど、感覚的に「愛」の意味が理解できるようになるだろう。
聖者の言葉が難しく感じられるのは、彼らの視点が抽象度が高いためで、もし我々が彼らの言葉を理解するには、自身の抽象度を上げていかなければ理解できないだろう。
いずれにせよ、我々が日常の中で「面白い」と感じて、継続できていることが、生きることの心地よいポイントを見つけ出せるようになるものであり、それが自身の成長に繋がり、結果的に抽象度の高い視点を得られるようになっていく。
そういった意味でも、どんなことでもいいので夢中になれることを見つけて、それを日々行っていけば、それだけで広い視野で物事が見れるようになり、力むことなく自然体で生きていけるようになるのだと思う。
何かに夢中になるということは、単に楽しいということだけでなく、物事を広い視野で観られるようになる力を養っているといってもいいのかもしれない。
上昇・下降を厭わず、そういった経験を通じていけば、我々は広い視野で物事を観られるようになっていくことだろう。