「いまここ」を生きれば幸せになる
今この瞬間に生きることができると、迷いが消えるものである。
迷いのない状態で、どんな瞬間でも生きられるようになれば人は幸せを感じながら生きていけるようになるだろう。
迷いとは、二つの矛盾する思いを持つことで生まれるものである。
迷いは、いってみれば二元の意識であり「前に進みたいのに進めない」、「やりたくないのにしなければならない」、そういった矛盾や葛藤を抱えた状態といってもいいだろう。
こういった状態に人は苛立ちを感じるようになるからこそ、迷いを消したいと思うようになるものなのだ。
迷うことなくスイスイと泳ぐように生きていきたい、そういった望みを誰もが持っている。
そして、この迷いを消す方法が「いまここ」に生きるということになる。
たとえ現状がどんな状態であったとしても今この瞬間を、夢中になって生きることができれば、人は迷いを断つことができる。
つまり、「いまここ」とは「迷い」という二元的な意識を一元的な状態に変えることのできる作用である。
こういったことから、「いまここ」で生きることの大切さが古来より伝わっている。
我々が暮らすこの世界は、二元性の強い世界だ。
こういった二元性の強い世界の中で生きる中で、どうすれば楽しく生きていけるようになるのか、我々は、その方法を探している存在なのかもしれない。
陰陽というべき二つの極が引っ張り合う世界の中で、心地よく生きられる方法を見つけ出すというゲームをするために、この世界に身をおいているのかもしれない。
善悪、男女、過去と未来、こういった対比のある世界の中で、どうすれば心地よく過ごせていけるかという答えを求めて冒険しているといってもいいだろう。
コントラスト強めの二元の世界の中に存在しているからこそ、我々は一元意識の大切さを理解できるようになる。
二元が起こす極と極が引っ張り合う荒波にもまれるからこそ、「私」という一元を保つことの大切さを知る。
二元的な事象の中から一元を見て取る力を養っていけば、人は楽に生きていけるようになっていく。
二元的な物事は対立しているのではなく、その中に潜む真実という一元的な視点を見出すことで答えを見つけることができるようになる。
たとえば、善と悪を比べるなら、当然、善を望むものだ。
しかし、悪の中にも悪なりの善があり、善の中にも悪を責める悪がある。
つまり、善悪には明確な答えは存在しないものであり、善悪を超えた視点を得ることが、ひとつの答えになる。
では、なぜ善があり悪があるのか、その理由を知ることができれば、善悪の二元性を超越して一元的な意識の中で悠々と生きていけるだろう。
善悪を超えた先に存在する意識とは何だろう。
たとえば、それは「愛」なのかもしれない。
「愛」という言葉に、二元性はない。
「愛」と対になる言葉があるのだろうか。
「愛」を知るには善悪という概念が必要なのかもしれない。
では「愛」とはいったい何なのだろうか?
あるいは、なぜこの世界は男性と女性が存在するのだろうか。
二つの異なる性が存在するのは、なぜなのだろうか。
男女が均等に揃って存在するからこそ、生命としての躍動が生れるものなのかもしれない。
どちらかだけに偏ってしまうと、生命として発展することができなくなる。
男女という性質の異なる二つの性があるから発展できることがあるはずなのだ。
二つの性が補い合うことで、我々は進化する。
では、男女を超えた先に何があるのか。
我々は何を求めて進化をするのだろうか。
そういったことを知ることができれば、男女という二つの要素が存在する理由を知ることができるだろう。
では、過去と未来は?
過去と未来は、今を十分に味わって過ごすことができれば消すことができる。
どんな状況の中であっても今に生きることができれば、過去や未来が生み出す迷いから解放されて生きられるようになる。
今に集中することで今に留まることができる。
今という瞬間を丁寧に扱えば、今に集中することができる。
休息するときでさえ、今この瞬間の心地よさをとろけるように味わって休息すれば、今に留まることができるだろう。
そうやって、今という瞬間とひとつになるとき一元的な視点を得ることができ、心地よく満足して生きられるようになっていく。
しかも今に注力して生きていると、次にしなければならないことが不思議とわかるようになるものであり、自然と道が開かれていく。
幸せとは、無理をすることなく道が開かれていく状態でもある。
迷うことなく着々と前に進んでいける状態が幸せの状態なのだ。
生命は今に身を委ねることが自然の姿。
今を味わって生きる中にこそ「幸せ」が存在する。
この今の幸せを味わい続けることが「幸せ」となる。
何かにならなくても「幸せ」は「いまここ」に存在するものであり、「いまここ」を十分に味わって生きていけば、「私」を生きられるようになるだろう。
こういったことに気づくとき、人は「幸せ」という一元的な意識で生きていけるようになる。
「幸せ」とは迷いのない状態を生み出すことであり、「幸せ」は今この瞬間を生きることで生み出すことができる。
今に自分を開くとき、人生が開かれていくことだろう。
迷いがなくなれば、人生が穏やかになり花開く。
「いまここ」に生きることで、人は幸せを実感できるようになる。