幸せを探求できる幸せを知れば、誰でも幸せになれる
幸せは、この今に夢中になることで感じることができる。
今に夢中になることは、生命の本質であり喜びである。
だからこそ、この今に生きることが欠かせないといっていい。
では、今に夢中になるということはどういうことか。
それは、今している行為に夢中になるということだ。
今していることに思考をフルに使っていけば、夢中になることができる。
思考には2つの種類がある。
一つは、今していることに対する思考であり、もうひとつは今していることとは全く関係のない思考のことだ。
今していることに思考を使えば、今に夢中になることができる。
この今に夢中になって幸せを感じられるということは、行為と思考が一つになっている状態である。
これに対し、今とは関係ないことを考えていると、今に夢中になることができずに意識が散漫になっていく。
今に幸せを感じられないのは、行為と思考が不一致な状態といっていいだろう。
だからこそ、どんなときでも行為と思考を一致させ、今という瞬間に夢中になることができれば人は喜びを感じ幸せを実感できる。
この地球上の我々以外の存在の多くは思考を使うということがない。
彼らは本能のみで生きている。
このため、彼らは常に今に夢中になって生きているし、どんなときでも生命としての本質と一致して生きている。
彼らにとっては夢中であることがデフォルトの状態であり、幸せであることが当たり前になっている。
とはいえ、幸せの状態が当たり前であれば、不幸せの状態を知ることができない。
彼らには「幸」「不幸」の相対性を理解することはない。
その一方で、我々は幸せと不幸せの二つを状態を認識できる上に、幸せでない状態を幸せな状態に変えることのできる生命なのだ。
この地球上で、幸せとは何かと考え探求し、不幸を幸せに変えられるのは、おそらく我々だけであろう。
つまり、我々人類は幸せとは何かを考え、それを探求できる特権を持っているのだ。
そして、我々に「幸せとは何か」ということを探求できる特権があると知ることができたなら、不幸と感じることでさえ幸せの範疇に入っているということに気づくことができる。
不幸は幸せの本質を知るための材料である。
不幸と感じることがあるからこそ、幸せをより深く実感できるようになる。
幸せとは何かを探求し、それを見出していくことで幸せの本質を知ることができるようになり、その結果、ぶれのない自分を確立できるようになる。
ぶれのない自分とは、自分を信頼できている状態を表している。
自分を信頼するには根拠が必要であり、その根拠を「幸」「不幸」の相対性の中から見出すことができる。
今している行為と思考が不一致な状態のとき、人は幸せを感じることができない。
しかし、今している行為と思考を一致させ今に夢中になって生きれば、喜びの感情を抱くことができ幸せを実感できるようになる。
このことは、幸せでない状態と幸せの状態を比較・分析し思考することで知ることができたことである。
我々は、幸せの意味を経験を通じて理解し、それを明確化することができるのだ。
今していることに夢中になれるということは生命としての喜びである。
この今に我を忘れて生きるとき、人は幸せを実感できる。
あるいは、夢中になれることを意図して選び、夢中になれる時間を増やしていってもいい。
いずれにせよ、夢中になれる時間を増やしていくことで、幸せの総体を増やしていけるようになる。
我々は、幸せとは何かを探求できる幸せを誰もが持っている。
不幸は幸せの一部である、この認識を持てるようになれば、人はもう不幸ではない。
幸せを探求できる幸せを使い、探求から得た答えをもとに生きれば、人は必ず幸せになることができる。