幸せは「喜び」のエネルギーで創造する
1人の「喜び」という感情が
75万人分の「怒り」のエネルギーと同じ
この一文は、フォローさせて貰っている、たかぎけいこさんの「喜びの魔法は世界を変える」という記事で拝見させて貰ったものであり、この一文を読んで、いろんな思いが浮かび上がってきた。
1人の「喜び」の感情が、75万人分の「怒り」のエネルギーと同じということを別な表現にするならば、喜びというポジティブなエネルギーは、「怒り」というネガティブなエネルギーの75万倍のパワーがあるということになる。
このことは、もちろん、たかぎさんの記事にも書かれているように「一説には」という注釈がつく。
でも、このエネルギーの比率は僕個人として、間違っていないように思う。
「怒り」の感情は、個人の心の中に重いものをじわじわと蓄積されていくのに対し、人の発する「喜び」の感情は開放的で、その伝導する力は瞬く間に広がっていき他者の気持ちを明るくさせる。
喜びの感情は、人が蓄積させてしまったネガティブな感情を溶かす作用があり、その影響力は、年齢や性別、国籍さえも簡単に超える力がある。
いつも微笑んでいる人が、一人いるだけでその場の雰囲気を変えてしまうものだし、人は微笑んでいる人に惹かれてしまうものである。
そもそも我々人間の初期設定は「喜び」にあり、喜びという「快」の感情を求めて人は生きているといっていいだろう。
ネガティブな思いの裏側には、必ずポジティブな思いが存在していて、ネガティブな思いは、自分の「快」とは異なっているということを示している。
つまり、ネガティブな感情は、人間の根底に「快」の感情があるから生まれるものだなのだ。
「快」と思えることを見つけたり出会えたりすると、人は喜びの感情を持つことができるし、快という喜びのエネルギーが人間の生きるための原動力になっている。
我々は喜びを感じたいと思って生きているものだし、人を動かすエネルギーの源は喜びにあると考えていい。
そういった意味でも、シンプルに喜びに直結することをして生きられるようになるのが、人間の理想の姿である。
ネガティブな思いは他者のエネルギーを奪っていくのに対し、喜びの感情は自分だけでなく他者にエネルギーを与えることができる。
与えるエネルギーは奪うエネルギーの75万倍のパワーがあるといっていいだろう。
とはいえ、残念ながら現代の生活の中に、喜びを実感できる機会はあまり多くないように思う。
では、なぜ生活の中に喜びを実感できる機会が少ないかというと、これまでの人類の長い歴史の刷り込みが背景にあるるように思う。
喜びを得るには、何かしらの対価が必要になる、そういった刷り込みがなされているように思う。
おそらく連綿と続く負の社会の構造がそうさせているといっていいだろう。
これはあくまでも個人的なイメージだが、縄文時代の人々は明るく喜びで生きていたように思う一方で、それ以降の人の暮らしにはどことなく影のようなものが存在しているように思う。
影とは、暮らしの中に「争い」が含まれるようになったということ。
争いには、対価が付きまとう。
縄文時代の人々と弥生以降の人々の違いは何かというと社会の構造であり、そういった影を含んだ社会が、喜びで生きることに蓋をさせたのではないかと考えることもできる。
縄文時代の横関係の社会が縦関係に変化したことで、常にネガティブな思いを持って生きるようになったように思えてならない。
我々が習う歴史の多くは覇権争いというネガティブな内容がほとんどであり、そういったネガティブ性の強い社会の仕組みが、人の喜びの感情を抑えることになったように思う。
とはいえ、そろそろそういった社会の枠組を超えていかないといけないといっていいだろう。
人は喜びを求めて生きる生き物だということを再認識し、自分の喜びを軸にして生きていかなければ、我々は種として進化していくことはできない。
覇権争いを続けている限り、人は疲弊していくものなのだ。
人の原動力は喜びにあり、喜びを軸にして生きるのが自然なことである。
喜びの感情を抑えて生きるということは、人の本能に逆らうことでもある。
もちろん、今すぐ社会の仕組みを変えることは難しい。
しかし、一人でも多くの人が喜びを軸にして生きていけるようになって、世の中の仕組みを変えられるという閾値(しきいち)を超えることができれば、世の中は一気に変化していくことだろう。
社会が大きく変化する閾値のひとつとして、14万4千人という数字が上げられる。
この14万4千人が75万という喜びのエネルギーを使うことができるようになれば、この社会は大きく変化することだろう。
14.4万×75万=1080億
14万4千人が75万のエネルギーを発すると、1080億というというエネルギーを生み出すことができる。
現在の人類の人口は81億といわれていて、仮にこの81億人が「怒り」のエネルギーを発したとしても81億のエネルギーにしかならない。
つまり、14万4千人の人が喜びを軸にして生き、75万という喜びのエネルギーを発すれば、すぐにでも世の中の仕組みが大きく変化していく可能性があるのだ。
14万4千人といえば、令和2年国勢調査によると栃木県足利市や岐阜県の各務原市くらいの人口であり、現在の人類の総人口から比べると微々たる数字であり、14万4千人という閾値を超えることは、比較的容易なことと思える。
前述した通り、喜びで生きることが人間にとって自然なことであり、このことに気づいて、それを実践して生きる人が増えていけば、この世界は大きく変化していくことだろう。
喜びを感じることは、難しいことではない。
自分の気持ちに正直になって行動するだけで、喜びの感情を得ることができる。
喜びを感じて生きようと心掛けるだけで、考え方が変化し行動を変えることができるようになるだろう。
涼しい風が、人に喜びの感情を生み出してくれる。
身近なところから喜びの感情を味わっていけば、やがて大きなエネルギーを動かせるようになっていくものであり、そうやって喜びのエネルギーを動かしていける人が増えていけば、それが今の社会の仕組みを変える力となるだろう。
現在は、人が生れ持った能力に気づくという時期なのかもしれない。
多くの人が、喜びというとても大きなエネルギーを持っているということに気づくことができれば、喜びを軸とした社会を生み出してけるようになるだろう。
そうなるためにも、まずは出来るところから喜びを感じていくこと。
幸せは喜びのエネルギーを増やしていくことで創造できる。
喜びのエネルギーは怒りのエネルギーの75万倍ある、そう思えたなら喜びと思えることしか選択できなくなることだろう。
今回、紹介させて頂いたたかぎさんの記事では、「喜び」のエネルギーがいかにパワフルかについて書かれていますのでぜひ、ご覧になってください!!
自分を満たす方法についても書かれています!!